松永貞徳(まつながていとく)は、江戸時代前期の俳人・歌人・歌学者・狂歌師
貞門俳諧の祖とされる
和歌・歌学を細川幽斎や九条稙通に、連歌を連歌師 里村紹巴(さとむらじょうは)に学ぶ
他にも、50数人に師事したといわれる
俳諧が流行すると中心人物として指導者となり、古典を講義したり、私塾を開き、庶民の間に俳諧を広めた
「俳諧御傘(はいかいごさん)」を著して、俳諧の式目を定め貞門俳諧の祖となる
俳諧は連歌・和歌への入門段階にあるとして、俗語・漢語などの俳言(はいごん)を用いるべきと主張した
狂歌も近世初期の第一人者
門下から北村季吟・加藤盤斎・伊藤仁斎・安原貞室ら七哲らを輩出し一大流派をなした
灰屋紹益・中川喜雲らも松永貞徳から和歌を学ぶ
<歌集「逍遊愚抄」>
<俳諧式目書「俳諧御傘(はいかいごさん)」>
<「新増犬筑波集」>
<「天水抄」>
<「紅梅千句」>
<妙満寺>
「成就院 洛中雪月花三名園」の一つ「雪の庭」
松永貞徳の作庭
清水寺成就院に「月の庭」、北野成就院に「花の庭」(現存せず)を同時に作庭したといわれる
<清水寺 成就院>
月の庭(国の名勝)は、相阿弥の作庭で小堀遠州の補修とか、松永貞徳の作庭ともいわれている
<松永貞徳花咲亭址>
松永貞徳は、60代半ばで隠居して、稲荷町花開に移り住んだ屋敷跡
現在の花咲稲荷神社の前に石碑が立つ
<花咲稲荷神社>
松永貞徳の邸宅内に鎮守社として祀られていたといわれる