大田垣蓮月(おおたがきれんげつ)は、 江戸時代後期の尼僧・女流歌人・陶芸家
晩年は、神光院の茶所に間借りして隠棲し、境内の清掃と陶器制作で過ごした
幕末維新の時代の代表的な女性歌人
税所敦子と共に、桂園派を代表する
若年から歌道に親しみ、
上田秋成、香川景樹に教えを受け、勤王家 六人部是香(むとべよしか)に入門する
小澤蘆庵の歌論書「布留の中道」などから歌風を学んだ
歌風は、平明温雅、流麗で女性らしい繊細な叙景歌が多い
茶の湯、いけばな、舞唄にも優れていた
歌友
橘曙覧(たちばなあけみ)、野村望東尼(のむらもとに)、穂井田忠友、村上忠順、高畠式部、上田ちか子、桜木太夫や
維新の志士などと親交があった
<蓮月高畠式部二女和歌集>
1868年(皇紀2528)明治元年の出版
<家集「海人の刈藻(あまのかるも)」>
1871年(皇紀2531)明治4年
近藤芳樹編
「山ざとは松の声のみ聞きなれてかぜふかぬ日はさびしかりけり」など
<蓮月全集>
村上素道編
<辞世の句>
ねがはくはのちの蓮(はちす)の花のうへにくもらぬ月をみるよしもがな
<太田垣蓮月仮寓跡>
醍醐寺三宝院の南側、醍醐小学校の東南に石碑が立つ
<神光院>
晩年を西賀茂の神光院の茶所で10年間の余生を過ごし、85歳で亡くなる
茶室「蓮月庵」
山門を入った左側にある旧栖茶所で10年間を過ごした草庵
平屋建、4間3間、5畳の居間、3畳の台所、土間には窯がある
「蓮月尼旧栖之茶所」と刻まれた石碑が立っている
歌碑
「ただならぬ枕の草に虫鳴ひて秋あはれなるわが庵かな」
「暮れぬとて帰る家路もそこはかと夏草しげし西賀茂の里」
「願くはのちの蓮はちすの花の上へに曇らぬ月を見るよしもがな」
富岡鉄斎の筆の「蓮月尼肖像画」も所蔵されている
<牛若ひろば>
大田垣蓮月の歌碑 「あすもきて 見んと 思えば 家づとに 手折るも をしき 山さくら花」
<島原>
島原大門の出口の柳の木を見て詠われる
「なつかしき やなぎのまゆの 春風に なびくほかげや さとの夕ぐれ」
<丸太町橋>
私財で鴨川に丸太町橋を架けた
<西方寺>
小谷墓地
境内の西にある墓地
大田垣蓮月尼のお墓が、南側地域の、墓地の入口に近い木の根元にある
<蓮月焼>
生活費のために、手作りした陶器
手捏ねの茶器に、自詠の歌を釘で彫り焼いたもの
京土産として人気があり、後に贋作も出回ったといわれる
<時代行列>
江戸時代婦人列に若き日の姿で登場する
<富岡鉄斎>
出家後、幼い富岡鉄斎を侍童として、我が子のように可愛がり、
富岡鉄斎の人格形成に大きな影響を与えたといわれる
<慈善活動>
京都の飢饉のときには寄付するなど勤しみ、飢饉救済の活動など慈善活動も行った