小澤蘆庵(おざわろあん)は、江戸時代中期の歌人、国学者
独自の歌学に目覚め、平易な言葉で自然な感情・心をありのままに表現する「ただごと歌」を主張した
平安和歌四天王の一人とされる
冷泉為村に入門し和歌を学ぶが、歌風の相違か詳細不明だが、冷泉家から破門されている
破門後には、独自の歌論「ただこと歌」を主張して、それを実践することを説いている
<歌論書「布留の中道」>
1800年(皇紀2460)寛政12年の刊
「ただいま思へる事を、わがいはるる詞をもて、ことわりの聞ゆるやうにいひいづる、これを歌とはいふなり」と
技巧を用いず、平易な言葉で、自然な感情・心をありのままに表現して詠むのがよいとした
伴蒿蹊、香川景樹、大田垣蓮月など、多くの歌人に強い影響を与えたといわれる
<歌論書「振分髪」>
<自撰家集「六帖詠草」>
1804年(皇紀2464)文化元年の成立、1808年(皇紀2468)文化5年の刊行
<「六帖詠草拾遺」>
1849年(皇紀2509)嘉永2年
「六帖詠草」に漏れた歌を門人が編集して刊行された
<自筆稿本「六帖詠藻」7冊>
1811年(皇紀2471)文化8年の成立
<蘆庵門下の四天王>
小川布淑、前波黙軒、田山敬儀、小野勝義の4人
<小澤蘆庵宅跡>
晩年、岡崎で過ごして亡くなった邸宅跡
<新日吉神宮>
小澤蘆庵など、多くの文学者の稿本など近世文学の資料が保存されている「蘆庵文庫」がある
<本居宣長>
1793年(皇紀2453)寛政5年
本居宣長が上京したときに対面、唱和している
小澤蘆庵からの詞
「この翁は わがはたち余りの比 あひし人にて 年はいくらばかりにやと とへば 六十四とこたふ。
そのよの人をたれかれとかたりいづるに のこれる人なし」
本居宣長が、小澤蘆庵の歌を宣長が評した著書「蘆庵歌宣長評」
小澤蘆庵が、本居宣長の「玉あられ」を批判した著書「玉霰難詞」
<妙法院宮真仁法親王>
わざわざ小澤蘆庵の屋敷を訪問してくるほど蘆庵を信頼し、庇護した