僧正遍昭(そうじょうへんじょう)(Soujyou Henjyo)

平安時代初期の僧・歌人

生年:816年(皇紀1476)弘仁7年
没年:890年(皇紀1550)寛平2年1月19日
享年:75

大納言 良岑安世の八男
桓武天皇の孫

官位:従五位上・左近衛少将

号:花山僧正
俗名:良岑宗貞(よしみねのむねさだ)

子息:弘延・由性・素性(そせい)・椋橋玄理

六歌仙および三十六歌仙の一人

お墓:山科区北花山中道町

 僧正遍昭(そうじょうへんじょう)は、平安時代初期の僧・歌人

 桓武天皇の孫という高貴な生まれだが、出家して天台宗の僧として僧正となる

 紀貫之が選んだ六歌仙、藤原公任が選んだ三十六歌仙の一人で、歌僧の先駆となった

【僧正遍昭の歴史・経緯】

【僧正遍昭の和歌】

 「古今和歌集」に16首+連歌一首、以下の勅撰和歌集に35首+連歌一首が入集されている

 遍昭の歌風は出家前と出家後で変化している
 出家前には、情感あふれる歌も詠んでいる
 出家後は、紀貫之が評したように、物事を知的にとらえ客観的に描き出す歌を多く作った

 <六歌仙
 紀貫之が選んだ僧正遍昭・在原業平・文屋康秀・喜撰法師小野小町・大友黒主の6人

 <三十六歌仙
 藤原公任が選んだ36人

 <古今和歌集
 16首+連歌一首が入首されている

 仮名序において、紀貫之は「近き世にその名きこえたる人」として
 「歌のさまを得たれどもまこと少し。たとへば絵にかける女を見て、いたづらに心を動かすが如し」と評価した
 (僧正遍昭は、歌の風体や趣向はよろしいが、真情にとぼしい)

 藤原定家は、それこそが歌であると評価したといわれる


 <小倉百人一首
 12番「天つ風 雲の通ひ路 吹きとぢよ 乙女の姿 しばしとどめむ」
 遍昭の真情が現れている

 遍照が、仁明天皇に仕えていた頃、宮中で、
 毎年11月に行われる儀式での踊り「五節の舞」を見て作られたものといわれる
 美しい乙女たちが舞う姿を天女に例えた、とても趣のある和歌

 小倉百人一首21番は、僧正遍昭の子 素性法師の歌
 「今来むと いひしばかりに 長月の 有明の月を 待ち出でつるかな」


 <家集「遍昭集」>
 後世に他撰されたもの
 三代集から遍昭作の歌をひいて編集したもの

【僧正遍昭ゆかりの地】

 <元慶寺
 僧正遍昭の創建


 <雲林院
 仁明天皇の皇子 常康親王より譲り受けて別当を兼ねた
 元慶寺の別院として、文芸交流を行った

【僧正遍昭の逸話】

 惟喬親王や小野小町らと歌を贈答するなど、多くの文化人と交流した歌僧で、
 在俗時代の色好みの逸話、天狗を調伏した話など、後世さまざまな逸話が生まれている

 「大和物語」「今昔物語集」「宝物集」「十訓抄」「続本朝往生伝」などに記されている


 <深草少将
 小野小町とも歌を贈答した交流があり、百夜通い伝説深草少将のモデルになったともいわれる


 <歌舞伎舞踊「積恋雪関扉」>
 江戸時代の製作
 良岑宗貞の名前で登場する


【京都検定 第16回1級】

[インデックス]


京都通メンバページ


[目次]


[関連項目]


[協賛リンク]



[凡例]

赤字
 京都検定の出題事項
 (過去問は下段に掲載)

ピンク
 京都検定に出題された
項目へのリンク

青色紫色
 関連項目へのリンク