与謝蕪村(よさ ぶそん)は、江戸時代中期の俳人、文人画家
松尾芭蕉、小林一茶と江戸俳諧の三大巨匠の一人で、江戸俳諧中興の祖といわれる
晩年は、松尾芭蕉顕彰事業に尽力した
与謝蕪村は、俗化して独創性を失った江戸俳壇を見捨てて「蕉風回帰」を唱え、写実的で絵画的な発句を得意とした
絵画用語である「離俗論」を句に適用した天明調の俳諧を確立させた
上田秋成が「かな書の詩人」と称し、与謝蕪村の句は、古典の教養による美意識による格調高く浪漫性漂うものが多いとされる
<蕪村七部集>
其雪影、明烏、一夜四歌仙、続明烏、桃李、五車反古、花鳥篇、続一夜四歌仙
<句集「夜半楽」>
1777年(皇紀2437)安永6年の刊行
俳体詩「春風馬堤曲(しゅんぷうばていのきょく)」などが収められている
<俳文集「新花摘」>
<俳体詩「北寿老仙をいたむ」>
1745年(皇紀2405)延享2年
下総国結城の俳友 早見晋我(しんが)を追悼して作られる
仮名詩(和詩)の流行を批判した清新な自由詩となる
<句日記「新花摘(しんはなつみ)」>
<連句「桃李(ももすもも)」>
<追悼集「から桧葉」>
<紙本墨画淡彩 夜色楼台図 掛幅(国宝)>
1778年(皇紀2438)安永7年から1783年(皇紀2443)天明3年の作
絵巻物のような横長の画面に、山並みを背景にした山村に雪が降る夜の光景が描かれている
しんしんと雪が降る中で、夜空は、黒から灰色で濃淡をつけられており、部分的ににじませて雲を表現している
個人蔵
<紙本淡彩 十便十宜図 画帖(国宝)>
1771年(皇紀2431)明和8年春の作
池大雅との合作で、十便を大雅が、与謝蕪村は「十宜図」を描く
与謝蕪村は、天候や時間などの移り変わる自然の「十の良いこと」を美しく描いている
川端康成記念会所蔵
<奥の細道図巻 紙本淡彩 巻子本2巻(重要文化財)>
1778年(皇紀2438)安永7年
松尾芭蕉の紀行作品「奥の細道」の全文を書き写し、そこに13点の挿絵を描いている
京都国立博物館所蔵
<山水図 六曲一双(重要文化財)>
1763年(皇紀2423)宝暦13年
出光美術館所蔵
<紅白梅図 四曲屏風一隻(重要文化財)>
角屋もてなしの文化美術館所蔵
<蘇鉄図 四曲屏風一双(重要文化財)>
妙法寺(香川県)所蔵
<山野行楽図 六曲一双(重要文化財)>
東京国立博物館所蔵
<竹溪訪隠図 掛幅(重要文化財)>
個人蔵
<野ざらし紀行図 六曲一隻(重要文化財)>
個人蔵
<奥の細道図屏風 六曲一隻(重要文化財)>
1779年(皇紀2439)安永8年の作
山形美術館所蔵
<奥の細道画巻 巻子本2巻(重要文化財)>
1779年(皇紀2439)安永8年の作
逸翁美術館所蔵
<新緑杜鵑図 掛幅(重要文化財)>
文化庁
<竹林茅屋・柳蔭騎路図 六曲一双(重要文化財)>
個人蔵
<春光晴雨図 掛幅(重要文化財)>
個人蔵
<鳶烏図 紙本着色 双幅掛幅(重要文化財)>
北村美術館所蔵
<峨嵋露頂図 巻子(重要文化財)>
法人蔵
<富嶽列松図 掛幅(重要文化財)>
愛知県美術館所蔵
<与謝蕪村関係資料(重要文化財)>
与謝蕪村の俳諧の門弟で支援者でもあった寺村百池の家に伝わった絵画、短冊、書状等の遺品一括
文化庁保管
<方士球不死薬図屏風 六曲屏風(京都府指定文化財)>
施薬寺(与謝野町)所蔵
<金福寺>
与謝蕪村のお墓がある
与謝蕪村によって再興された茶室 芭蕉庵がある
本堂には、与謝蕪村と、村山たか女の遺品が安置されている
歌碑には、一つの石碑に与謝蕪村と、蕪村の支援者だった寺村百池の句が刻まれている
「花守は野守に劣る今日の月」 与謝蕪村
「西と見て日は入りにけり春の海」 寺村百池
<与謝蕪村宅跡>
下京区仏光寺通烏丸通西入南側
<粟嶋堂 宗徳寺>
歌碑「粟嶋へ はだしまいりや 春の雨」
娘の病気回復の祈願のために訪れたといわれる
<銀閣寺>
方丈(本堂)に、与謝蕪村、池大雅の襖絵がある
<与謝野町>
与謝蕪村の母親の実家 谷口家がある
与謝蕪村が、幼少時代に施薬寺に一時預けられていたといわれる
2012年(皇紀2672)平成24年より、蕪村顕彰全国俳句大会が行われている
<辞世の句>
「しら梅に 明(あく)る夜ばかりと なりにけり」
<画家 呉春>
与謝蕪村に俳句や絵画(南画)を学んだ愛弟子
後には、円山応挙から写生画を学び、両者を折衷して詩趣に富む花鳥画・風景画を描いた
四条派の祖とされる