与謝野鉄幹(よさのてっかん)は、明治時代から昭和時代の歌人
妻 与謝野晶子とともに浪漫主義運動で活躍する
北原白秋・吉井勇・石川啄木などを見出し、日本近代浪漫派の中心的な役割を果たした
次男 与謝野秀は外交官として東京五輪事務長を歴任など活躍し、与謝野秀の長男 与謝野馨が政治家となる
<歌集「東西南北」(1896年(皇紀2556)明治29年)>
<歌集「天地玄黄」(1897年(皇紀2557)明治30年)>
<歌集「相聞(あいぎこえ)(1910年(皇紀2570)明治43年)」>
<月刊文芸誌「明星(みょうじょう)」>
1900年(皇紀2560)明治33年4月から1908年(皇紀2568)明治41年11月まで刊行
<格言>
われ男の子意気の子名の子つるぎの子詩の子恋の子あゝもだえの子
<鞍馬寺>
歌碑「遮那王が背くらべ石を山に見てわがこころなほ明日を待つかな」
霊宝殿2階には、与謝野鉄幹、与謝野晶子の遺品等を展示した「与謝野記念室」がある
<与謝野鉄幹・与謝野晶子のお墓>
後に、知人・門人により建立された
三角屋根の明るい二墓同型、左側が鉄幹、右側が与謝野晶子のお墓、正面にそれぞれの名前が刻まれている
設計は、建築家 西村伊作
裏面に、鉄幹の方は「門人有志建之」、晶子の方は「知友門人建之」と刻まれている
台座の上に、晶子の歌が、晶子の筆跡で刻まれている
鉄幹のお墓
「今日もまたすぎし昔となりたらば並びて寝ねん西のむさし野」
晶子のお墓
「なには津に咲く木の花の道なれどむぐらしげりて君が行くまで」
墓域前入口の左右にも歌碑が立っている
鉄幹側 「知りがたき事もおほかた知りつくし今なにを見る大空を見る」寛
晶子側 「皐月よし野山のわか葉光満ち末も終りもなき世の如く」晶子