吉井勇(よしいいさむ)は、大正時代・昭和時代の歌人、脚本家
祇園元吉町の白川沿いに「かにかくに祇園はこひし寝るときも枕のしたを水のながるる」の吉井勇の歌碑があり、
毎年11月第2日曜日に、祇園甲部の芸妓・舞妓さんが歌碑に白菊を手向けてしのぶ「かにかくに祭」が行われている
<戯曲「午後三時」>
1909年(明治42年)3月「スバル」に発表
坪内逍遥に認められ、その後、続々と戯曲を発表して脚本家としても名をあげる
<第一歌集「酒ほがひ」>
1910年(皇紀2570)明治43年刊行
青春の情熱を奔放に歌いあげて高い世評を得る
<戯曲集「午後三時」>
1911年(皇紀2571)明治44年
耽美派の歌人・劇作家としての地位を築く
<歌集「祇園歌集」>
1915年(皇紀2575)大正4年11月、新潮社より刊行
紅灯の巷の情趣を享楽的に歌った
<戯曲集「俳諧亭句楽」>
1916年(皇紀2576)大正5年
市井の寄席芸人の哀歓を描いた
<吉井勇の歌碑「かにかくに」>
1955年(皇紀2615)昭和30年11月8日
古希を迎え、祇園元吉町の白川沿いに歌碑が建てられる
「かにかくに 祇園はこひし寝るときも 枕のしたを 水のながるる」
<護王神社>
カリンの神木の横に立てられている歌碑
吉井勇の1945年(皇紀2605)昭和20年10月から1947年(皇紀2607)昭和22年4月の頃の歌を収めた歌集「残夢」には、
榠櫨(かりん)を詠んだ歌が3首収録されている
「風なきに 榠櫨の實また ほろと落つ かくて極まる 庭のしづけさ」
「榠櫨の實 ひろひてわれの 机邊に 置きしは妹か あした香の立つ」
「風はたと 止みてしづけき 夕庭に 榠櫨の實ひとつ 落ちしを拾ふ」
そのうちの最初の一首が歌碑に刻まれている
<大沢池>
大沢池の南、道の向こうに立つ浄髪供養塔に、吉井勇の歌が刻まれている
「年ひとつ加わることも たのしみとして 静かなる老いにいらまし」
<短編小説「銀閣寺行(ぎんかくじゆき)」>
1953年(皇紀2613)昭和28年の発表
新京極で映画を見た帰路、銀閣寺行きの市電で乗り合せた男女の芸人の会話を耳にする話
<かにかくに祭>
毎年11月第2日曜日
「かにかくに」の歌碑に、祇園甲部の芸妓・舞妓さんが歌碑に白菊を手向けて吉井勇をしのばれる
<お茶屋「大友(だいとも)」>
大友は戦前の文化サロンとなっていたお茶屋
女将 磯田多佳は、「文芸芸妓」といわれた
「祇園歌人」といわれた吉井勇、夏目漱石、谷崎潤一郎、高浜虚子、長田幹彦、尾崎紅葉などの文人、
画家の藤田嗣治、横山大観、浅井忠などがひいきにして通っていたといわれる