新古今和歌集(しんこきんわかしゅう)は、後鳥羽上皇の院宣によって編纂された8番目の勅撰和歌集
後鳥羽上皇自身も、編纂に深く関わったといわれる
全20巻に、八代集の中で最も多い約1980首が収められている
すべて短歌
これまでの七代集を集大成する目的で編まれる
口語や俗語による世俗の様子を詠んだ連歌が流行していた状況から、古今集和歌集を模範として復帰させようとしたといわれる
「古今和歌集」を範として、それまでの七代集を集大成する目的で編まれている
「古今和歌集」にならって、「真名序」(藤原親経の執筆)と「仮名序」(藤原良経の執筆)の2つの序文がある
巧みに配列が行われている
四季の巻は、季節の推移順、恋歌は恋の進行程度順に並べられており、
古代の歌人と当時の歌人の作が交互におかれている
<全二十巻>
(真名序)
(仮名序)
巻第一 春歌上
巻第二 春歌下
巻第三 夏歌
巻第四 秋歌上
巻第五 秋歌下
巻第六 冬歌
巻第七 賀歌
巻第八 哀傷歌
巻第九 離別歌
巻第十 羇旅歌
巻第十一 恋歌 一
巻第十二 恋歌 二
巻第十三 恋歌 三
巻第十四 恋歌 四
巻第十五 恋歌 五
巻第十六 雑歌 上
巻第十七 雑歌 中
巻第十八 雑歌 下
巻第十九 神祇歌
巻第二十 釈教歌
<総歌数約1970首>
八代集の中で最も多い
伝本によって歌数に相違がある
<撰者>
和歌所の寄人の11名の中から
源通具・六条有家・藤原定家・藤原家隆・飛鳥井雅経・寂蓮の6人が院宣により選ばれている
寂蓮は、撰集のための和歌を集めている段階で死去しており、実際の撰集作業は5人
<主な歌人>
西行法師の作が94首と最も多い
慈円(91首)、藤原良経(79首)、藤原俊成(72首)、式子内親王(49首)(女流最多)、藤原定家・藤原家隆、寂蓮、後鳥羽上皇の順
万葉歌人の作も多少含まれている
真名序に、「先ず万葉集の中を抽き、更に七代集の外を拾ふ」と記されており、
「万葉集」と、それまでの勅撰和歌集に採られなかった和歌より選ばれた
九条良経主催の六百番歌合や、後鳥羽上皇主催の千五百番歌合が主な撰歌となっている
<歌の特徴>
「万葉風」「古今風」と並んで三大歌風の一である「新古今調」とされる
浪漫的・幻想的・主情的・絵画的・唯美的・情調的・韻律的・象徴的・技巧的などの特徴がある
藤原定家の父 藤原俊成によって提唱された幽玄・有心の概念を、藤原定家が発展させて「余情妖艶の体」を築き上げ、
これが撰歌に大きく反映されているといわれる
技法として、余韻・余情をかきたてる体言止め、七五調の初句切れ・三句切れなどが使われている
「新古今和歌集」は、成立までに長い期間に渡り改訂が施されているため、
その途中の手控え本なども書写されたことにより、複数の系統がある
<第一分類本「竟宴本」>
1205年(皇紀1865)元久2年3月に歌集が完成し、それを記念する竟宴が後鳥羽上皇の御所で催されたときのもの
<第二分類本>
「竟宴本」から切継されて、和歌を取捨する途中作業の本文を伝えるもの
現在伝わっている伝本のほとんどは第二類本
<第三類本>
1216年(皇紀1876)建保4年12月に、後鳥羽上皇などによる切継が終了したときの本文
<第四類本「隠岐本」>
後鳥羽上皇が、承久の乱により隠岐に流され、切継がされたもの
仮名序の次に、撰集し直し、これこそが正統な「新古今和歌集」であると主張した後鳥羽上皇の序文「隠岐本識語」がある
第四類本の上巻(巻第一から巻第十まで)が冷泉家時雨亭文庫に伝わっている
<長神の杜地区>
小倉百人一首歌碑巡りの一つ
新古今和歌集から採られた歌14首の歌碑が立っている
<糺の森>
「石川や せみの小河の 清ければ 月も流れを 尋ねてぞすむ」(下鴨神社の祀官 鴨長明
「偽りを糺の森の 木綿襷(ゆふだすき) かけつつ誓へ 我を思はば」(平貞文)
<上賀茂神社>
「ほととぎす 声まつほどは 片岡の もりのしづくに 立ちやぬれまし」(紫式部)
<円山公園>
「わが恋は 松を時雨の染めかねて 真葛ヶ原に 風さわぐなり」(慈円僧正)
<千代の古道>
「嵯峨の山 千代のふる道 あととめて また露わくる 望月の駒」(藤原定家)
<橋姫神社>
「あじろ木に いさよふ浪の音ふけて 獨や祢ぬる 宇治の橋姫」
<小倉百人一首>
古今和歌集から続後撰集の10の歌集から撰歌されている
<財団法人 冷泉家時雨亭文庫>
第四類本「隠岐本」の上巻(巻第一から巻第十まで)が伝わっている
<京都府立総合資料館>
仁融筆の写本「新古今和歌集」が保存されている