一力亭(いちりきてい)は、祇園甲部、四条通と花見小路通が交差する南東角にあるお茶屋
大石内蔵助も利用していたといわれ、浄瑠璃「仮名手本忠臣蔵」の七段目の舞台となった
近藤勇や大久保利通、西郷隆盛なども通っていたといわれる
<浄瑠璃「仮名手本忠臣蔵」>
主君の仇討ちを果たした大石内蔵助・赤穂四十七士の物語
1748年(皇紀2408)寛延元年8月14日から11月中旬まで
大坂竹本座で、人形浄瑠璃の「仮名手本忠臣蔵」が初演される
赤穂四十七士を、いろはの47字にかけて「仮名手本」、「忠臣大石内蔵助」から「忠臣蔵」とされたといわれる
江戸幕府への遠慮から、屋号「万屋」の「万」の字を二つに分けて「一力」という屋号とされたり、
「大石内蔵助」を「大星由良之助」と表記される
<大石忌>
3月20日
大石内蔵助の命日に一力亭で行われる法要
仏壇に、討ち入りそばや大石の好んだものが供えられ、
馴染みのお客が招かれ、井上八千代により「深き心」が舞われたり、芸舞妓によりが地唄「宿の栄」が舞われる