磯田多佳(いそだたか)は、明治時代の祇園甲部の芸妓で、茶屋「大友」の女将
多くの文人や画家に愛され、「文芸芸妓」と称された
<文芸芸妓>
6歳のとき、井上八千代に入門し、芸を磨く
上田重子、三輪貞信に和歌を学ぶ
京舞、三味線、絵画、和歌、俳句などを嗜む
五月雨の句を得意としたといわれる
「祇園歌人」の吉井勇、夏目漱石、谷崎潤一郎、高浜虚子、長田幹彦、尾崎紅葉などの文人や、
画家の藤田嗣治、横山大観、浅井忠などとの幅広い交流があり、「文芸芸妓」と称された
夏目漱石は京都に4回訪れ、いくつもの小説の中で京都を描き、
お多佳とも懇意にしており、「春の川を隔てて男女かな」という句を詠んでいる
谷崎潤一郎の著書「磯田多佳女のこと」に記されている
<茶屋「大友(だいとも)」>
東山区祇園新橋 白川沿いに営業していたお茶屋
現在の白川南通はなく、お茶屋、置屋などが建ち並び、お茶屋は白川にせり出すように建てられていた
「文芸芸妓」と称される女将の磯田多佳の交流から、戦前の文化サロンになっており、「文芸茶屋」とも称された
第二次世界大戦の空襲に伴う災害を防ぐためと、戦後の区画整理などで多くの茶屋が撤去され、大友も撤去された
<吉井勇の歌碑>
大友を偲んで、跡地に吉井勇の歌碑「かにかくに 祇園はこひし 寝るときも 枕の下を 水のながるる」が立てられている