島原歌舞練場跡記念碑(しまばらかぶれんじょうあときねんひ)は、京都の六花街の一つ島原にあった歌舞練場跡に立つ石碑
島原は、日本最初の公許遊廊だった
芸娼妓に刺繍・裁縫などを教え、遊里を離れても仕事ができることを目指して設立された教育・勧業施設だった島原女紅場が由来
その後、現在の地に移転して劇場施設となり、温習会や青柳踊、餅搗きなどの行事が行われていた
現在は、歌舞練場跡の記念碑があり、跡地は、京都市の福祉施設となっている
上之町に芸娼妓の教育・勧業施設として設立された島原女紅場から
中之町の現在の地に、本格的な劇場施設「島原歌舞練場」として新築・移転された
歌舞会にあたる養柳会により運営され、歌舞音曲の練習発表の場として、毎年温習会が開催されていた
<島原歌舞練場跡記念碑>
歌人 吉井勇の歌が刻まれている
「宝暦の むかしの夢は 見は見つれ 夜半の投節 聴くよしもなし」
<大榎(おおえのき)>
樹齢約200年、樹高約15m、幹周り2m
歌舞練場解体時まで、根元に祠が祀られており、ご神木とされている
この地には、もと稲荷社が祀られていたといわれる