青木木米(あおき もくべい)は、江戸時代後期の文人画家・京焼の陶工、主に煎茶器を制作した
青蓮院宮粟田御所(青蓮院)の御用焼物師となり、
永樂保全、仁阿弥道八とともに「京焼の幕末三名人」と称される
主に煎茶器を制作した
木村兼葭堂・頼山陽・田能村竹田などの文人と交際があり、その影響を受けたといわれる
白磁・青磁・赤絵・染付・交趾・金襴手など幅広く制作されている
中国古陶磁にも興味を持ち、中国物の写しに独創的な作品を残している
<兎道朝暾図(うじちょうとんず)(重要文化財)>
<騰龍図(とうりゅうず)(重要文化財)>
<七香文茗碗(京都国立博物館)>
<紫交趾釉荒磯文急須(京都国立博物館)>
<白泥鬼面文涼炉(京都国立博物館)>
<三島手急須(京都国立博物館)>
<号>
幼名は「八十八」で、漢字の画をまとめて「米」として、屋号の「木」とあわせて「木米」と称した
青木木米は、数多くの号を用いていた
「九九鱗」:父親の出身地 美濃国久々利村にちなむ
「古器観」:趣味の古器鑑賞にちなむ
「青来」:青木の姓にちなむ
「聾米(ろうべい)」:
青木木米は、窯の温度を、窯の中で発せられる火の「パチパチ」という音で判断していた
そのため、青木木米の耳はいつも赤く腫上がっており、晩年には、聞こえなくなったといわれる
<旧邸>
せせらぎの道の近くに青木木米の旧邸がある
<お墓>
鳥辺山に立てられている
墓碑には篠崎小竹が「識字陶工木米之墓」と表している