広瀬治助(ひろせじすけ)は、幕末時代から明治時代の染色家
染料を混ぜた写し糊(色糊)を用いる写し友禅の技法を考案し、京友禅の大量生産を可能とした
<写し友禅技法の考案>
明治時代になり、化学染料(合成染料)が輸入され、化学染料は湯に溶かせば直ちに染められ、糊に混ぜることも可能となる
広瀬は、その特性を利用して染料を混ぜた写し糊(色糊)を用いる写し友禅の技法を考案する
それまでの手描き友禅に比べ工程が簡略化され、生産効率が大幅に上がり、友禅染の大量生産が可能となった
手描き友禅では、文様部分に防染のための糊を置いて白地のままに残し、地色を染めたあと糊を落とす
そして、残してあった白場に、また文様を置くという工程を繰り返す
写し友禅では、型紙を用いて、染料が混ざった写し糊を生地に置いていき、蒸して染料を定着させ、
その後、水洗いをして糊を落とす
型を用いることで、大まかな文様でしかなかった染色を超細密な模様も可能にした