尾形乾山(おがたけんざん)は、江戸時代中期の京焼陶芸家、絵師
琳派の創始者の画家 尾形光琳の6歳年下の弟
野々村仁清に陶技を学び、鳴滝に窯を開き、尾形光琳の絵付けによる合作や、食器類を創作し、乾山焼を広めた
自由闊達な絵付けや、洗練された中にある素朴な味わいに特徴がある作風
尾形乾山が器を作り、尾形光琳がそこに絵を描いた兄弟合作の作品も多い
<尾形光琳との合作>
銹絵寿老人図六角皿(大倉集古館)(重要文化財)
銹絵観鴎図角皿(東京国立博物館)(重要文化財)
銹絵絵替角皿 10枚(藤田美術館)(重要文化財)
銹絵松鶴図六角皿 「宝永7年(1710年)」銘(個人蔵)(重要文化財)
<陶芸>
金銀藍絵松樹文蓋物(出光美術館)(重要文化財)
銹藍金絵絵替皿 5枚(根津美術館)(重要文化財)
白泥染付金彩芒文蓋物(サントリー美術館)(重要文化財)
銹絵滝山水図茶碗(個人蔵)(重要文化財)
武蔵野隅田川図乱箱(大和文華館)
<絵画>
花籠図(福岡市美術館)(重要文化財)
八橋図(文化庁保管)(重要文化財)
<法蔵禅寺>
二条家の山屋敷であったものを、尾形乾山が譲り受け、乾山焼きの窯を築いた所
「尾形乾山の陶片」が残る
<尾形乾山宅跡・尾形乾山陶窯跡地>
法蔵禅寺の門前にの石碑が立つ
<泉妙院>
尾形光琳・尾形乾山兄弟のお墓がある
<「鳴滝乾山」>
二条綱平に鳴滝泉谷の山荘を与えられ、仁和寺から許可を得て窯を開いたときの作品の総称
作品は、「最初之絵ハ皆々光琳自筆」といわれ、兄 尾形光琳が絵付をして、乾山が作陶と画賛をする合作が主体だった
乾山窯には、押小路焼の陶工 孫兵衛が細工人として参加しており、押小路焼の交趾釉法と野々村仁清伝授の釉法とを
合わせながら、白化粧と釉下色絵などに代表される乾山窯独特の釉法が確立されていった
<著書「陶工必用」>
1737年(皇紀2397)元文2年、江戸で著した陶法伝書
<著書「陶磁製方」>
1737年(皇紀2397)元文2年、下野国(栃木県)佐野で著した陶法伝書
<乾山記念碑>
京都市東山区清水寺内
1920年(皇紀2580)大正9年建立
<本阿弥光悦>
尾形乾山の曾祖父 道柏の妻が、本阿弥光悦の姉
祖父 宗柏が、鷹ケ峯の光悦村に住んでいた
尾形乾山は、本阿弥光甫から本阿弥光悦以来の楽焼の陶技を伝授されたともいわれる