京唐紙(きょうからかみ)(Kyo Karakami)
京唐紙(きょうからかみ)は、木版で艶やか色模様を摺りあげて作られる襖紙(ふすまがみ)
江戸時代中期に、木版によって手のひらで摺られる唐紙が発展した
京都市の伝統産業の一つ
(写真は
京都伝統産業ミュージアムにて撮影)
【京唐紙の歴史・経緯】
【京唐紙の技法】
紙に礬水(どうさ)を引き、顔料や染料で染めて、地紙を作る
具か雲母を溶いて、姫糊を加え、布海苔・膠(にかわ)・合成樹脂などを調合した顔料を、
刷毛ではなく、大きな篩(ふるい)で、版木にまんべんなく塗られる
地紙を版木の上に置いて、バレンは使わず、手のひらでこすり紋様を摺りあげる
さらに、篩で顔料を塗り手のひらで摺りあげる手順を、数回繰り返す
これにより、独特の暖かみで量感のあるふっくら感で摺り上げられる
【京唐紙の紋様】
当初、唐草や亀甲紋様などの幾何学紋様が主流だった
近世、
本阿弥光悦や
俵屋宗達、
琳派などの絵画の技巧的な装飾文様が多用されるようになったといわれる
使う人の生活感覚や地位によって好まれるものが異なるといわれ、
公家好み・茶方好み・寺社好み・武家好み・町家好みに大別される
<公家好み>
公家たちには、有職文様が好んで用いられた
菊・桐・藤・竹・楓・松などの草花文を、
菱・角・蜀江(しょっこう)・円・襷(たすき)・立涌(たてわく)・
七宝焼などの幾何文と組み合たものが多い
鶴・雲文・青海波なども、好んで用いられた
宮中では、萩の丸・梅の丸のような丸紋が多い
<寺社好み>
広い部屋で用いられることが多く、
瑞雲(ずいうん)・霊芝雲(れいしうん)・大頭雲(だいとううん)など雲文などの大柄の文様が好まれた
唐長には、
東西本願寺の抱き牡丹、下がり藤や、知恩院の三葉葵、抱き茗荷(みょうが)など、
各寺院の寺紋の版木が約100枚ほど残されて、現在も使われている
紋の大きさは、6寸径から7寸径で、千鳥型に配列され、雲母押し・金箔・銀箔押しがされる
<茶方好み>
幾何文様はあまりなく、繊細で特に洗練された植物文様、桐文が多い
表千家の残月亭に使われている千家大桐および鱗鶴(うろこづる)
裏千家好みの四季七宝、細渦(ほそうず)
武者小路千家好みの吉祥草(きっしょうそう)、太渦 (ふとうず)などがある
<町家好み>
種類が豊富で、花鳥風月、光悦・光琳好み、小紋柄に分けられる
全体につつましく小柄なものが多く、梅・桜・秋草・雪花など四季折々の文様が数多い
<武家好み>
幾何文様など、硬さのある文様が多い
根引松(ねびきまつ)・紗綾型(さやがた)・雲などがある
【唐紙を用いた主な作品】
<和漢朗詠集巻下断簡 帝王(唐紙)(重要文化財)>
平安時代の藤原定信の作
京都国立博物館の所蔵
<私家集(唐紙)(素性・兼輔・宗干・遍照・高光・小町)(重要文化財)>
鎌倉時代の作
冷泉家時雨亭文庫の所蔵
<素性集(唐紙)(重要文化財)>
平安時代の作
冷泉家時雨亭文庫の所蔵
【唐紙屋長右衛門「唐長」】
唐紙屋長右衛門「唐長」は、江戸時代初期に創業し、
現在でも、京唐紙の伝統を引き継ぎ残る、日本でも唯一の唐紙屋(からかみや)
初代 長右衛門
摂津国出身の北面の武士
晩年に唐紙屋を創業する
1687年(皇紀2347)貞享4年11月に死去
<版木>
唐長には、約600枚の版木が残っている
材質は、ほとんどは柔らかいホオノキが用いられる
サクラやカツラのものもある
12枚で一面の襖になる十二板張り判と、十板張り判、五枚張り判がある
十二板張り判は、ほとんどが江戸時代のもの
大きさは縦9寸5分、横1尺5寸5分
十枚張り判は明治時代・大正時代のもの
縦1尺1寸5分、横1尺5寸5分
五枚張り判は、大正時代・昭和時代のもの
大きさは、十枚張り判の横幅を2倍にしたもので、間似合紙の寸法に合わせてあり、横3尺1寸
1788年(皇紀2448)天明8年
天明の大火で、版木を全て焼失
その後に、再刻される
1800年(皇紀2460)寛政12年6月
最も古い版木には「寛政四年六月 唐紙屋 長右衛門 彫師平八」と墨書されている