京都で生産される陶磁器を総称して「京焼(きょうやき)」と称される
陶器は「土物(つちもの)」、磁器(じき)は「石もの」と称される
陶器・磁器の両分野で、高い意匠力と多彩な技術が発達してきた
一般には、東山地域を中心として広がった京窯で焼かれた焼き物を「京焼」といわれる
清水焼(きよみずやき)は、京焼の代表的な陶磁器
大衆品から、芸術性の高い陶磁器が生産されており、作家ごとの個性が強い手作り多品種が特徴
一度焼成した後に、上絵付けを施す「上絵付けの技法」を用いた陶器が多い
京都は、陶土(とうど)に恵まれないため、滋賀県信楽町や熊本県天草から陶土を仕入れている
陶器は「土物(つちもの)」、磁器(じき)は「石もの」と称される
京都では、陶器・磁器の両分野で、高い意匠力と多彩な技術が発達してきた
<清水焼(きよみずやき)>
京焼の代表的な陶磁器
大衆品から、芸術性の高い陶磁器が生産されており、手作り多品種が特徴
<その他>
青磁・楽焼・音羽焼・御室焼・粟田口焼・
御菩薩焼・八坂焼・交趾焼・修学院焼など
焼成(しょうせい)は、作品を炉で加熱したり、熱風にさらしたりすることをいう
京式登り窯が用いられていたが、近年は、ガス窯、電気窯が主流となる
京焼は、一度焼成した後に、上絵付けを施す「上絵付けの技法」を用いた陶器が多い
<楽吉左衛門(初代 長次郎)>
千家十職の一つ、楽茶碗を作った長次郎に始まる茶碗師の家系
<本阿弥光悦>
1558年(皇紀2218)永禄元年−1637年(皇紀2297)寛永14年
<野々村仁清(ののむらにんせい)>
生没年不詳・江戸時代前期
丹波 美山の出身
御室に窯を開き「古清水」と称される華麗な色絵陶器を完成させる
<尾形乾山>
1663年(皇紀2323)寛文3年−1743年(皇紀2403)寛保3年
呉服商雁金屋の三男、尾形光琳の6歳下の弟
野々村仁清から直接技法を学び、優れた作品を多く残す
二条綱平に、鳴滝泉谷の山荘を与えられそこに窯を開く
茶人などの注文に応じて独創性のある色彩感覚の絶妙な作品を作り上げた
<清水六兵衛(愚斎)(きよみずろくべえ)>
1738年(皇紀2398)元文3年−1799年(皇紀2459)寛政11年
<高橋道八(たかはしどうはち)>
1740年(皇紀2400)元文5年−1804年(皇紀2464)文化元年
<奥田頴川>
1753年(皇紀2413)宝暦3年−1811年(皇紀2471)文化8年
質屋「丸屋」の当主 奥田家の養子となり4代目を嗣ぐ
中国明代の磁器を手本に京焼として初めて古染付・赤絵など色彩磁器の焼成を行う
<青木木米(あおきもくべい)>
1767年(皇紀2427)明和4年−1833年(皇紀2493)天保4年
奥田頴川の後を受けて磁器の作品を多く残す
主に煎茶器を制作し、後に青蓮院宮粟田御所の御用焼物師となった
<永樂了全(えいらくりょうぜん)>
1770年(皇紀2430)明和7年−1841年(皇紀2501)天保12年
千家十職の一つ土風炉師 善五郎の十代
<仁阿弥道八(にんあみどうはち)>
1782年(皇紀2442)天明2年−1855年(皇紀2515)安政2年
奥田頴川の後を受けて磁器の作品を多く残す
<永樂保全(えいらくほぜん)>
1795年(皇紀2455)寛政7年−1854年(皇紀2514)嘉永7年
<永樂和全(えいらくわぜん)>
1823年(皇紀2483)文政6年−1896年(皇紀2556)明治29年
<三浦竹泉(みうらちくせん)>
1858年(皇紀2518)安政5年−1915年(皇紀2575)大正4年
<久世久宝(くぜきゅうほう)>
1874年(皇紀2534)明治7年−1947年(皇紀2607)昭和22年
<北大路魯山人>
1883年(皇紀2543)明治16年−1959年(皇紀2619)昭和34年
<陶器まつり>
7月18〜20日 清水焼団地
1975年(皇紀2635)昭和50年より毎年開催されている
数十万点の食器・茶器、花器、インテリアなどが販売される
陶芸教室や楽焼きなどが体感できる
<陶器まつり>
8月7日〜10日
五条坂一帯に陶器業者が店を並べる全国最大規模の陶器市
<東山花灯路>
3月11〜21日 東山地域
京焼・清水焼、京銘竹、北山杉磨丸太、京石工芸、金属工芸の5種類の露地行灯約2,400基が、
東山山麓の、北は青蓮院から知恩院・円山公園・八坂神社を通って南は清水寺までの散策路約4.6kmに設置される
期間中は、各寺院で特別拝観やライトアップが行われる
<土もみ>
<成形>
ひねり成形・鋳込成形(いこみせいけい)・ろくろ成形などがある
<生素地加飾(なまきじかしょく)>
彫り・削り・盛上げ・化粧などの加飾を施す
<素焼>
<下絵付>
<施釉(せゆう)>
<本焼成(本焼成)>
<上絵付>
<上絵焼成(窯入れ)>
<完成>
<清水焼団地(きよみずやきだんち)>
山科区川田清水焼団地町
1962年(皇紀2622)昭和37年
東山・五条坂周辺の都市化で集団移住された焼き物の町
窯元や問屋が軒を連ね、清水焼の伝統を守っている
用地総面積8.25ha
京阪バス 清水焼団地 あるいは 川田
<京都陶磁器会館>
東山区五条通東大路東入白糸町
京焼、清水焼の展示即売が行われている
京都陶磁器協同組合連合会がおかれている
<京都青窯会会館>
東山区泉涌寺東林町
清水焼の展示即売と絵付け教室が行われている
<清水焼団地総合展示場>
山科区川田清水焼団地町 清水焼団地会館
<炭山工芸村>
宇治市炭山久田
奈良時代から陶工が多く住んでいた
昭和時代には、清水焼の陶工たちの一部が五条坂界隈から郊外に移転した先の一つとなった
京焼・清水焼の製作工程の見学ができる
<若宮八幡宮社>
京焼・清水焼の業者が立ち並ぶ五条坂にある
昭和時代中期、陶祖神の椎根津彦命が合祀され「陶器神社」と称され、8月には陶器まつりが行われる
<清水焼発祥地五条坂>
京焼・清水焼の発祥地である五条坂の若宮八幡宮社の門前に立つ石碑
<京都市陶磁器試験所発祥地>
京焼・清水焼などの製造技術の開発と技術者の養成が行われたところ
東山五条交差点付近、北西の六原公園の六原自治会館の前に石碑が立っている