<京弓(きょうゆみ)>
弾力性に優れている山城の真竹が用いられる
馬上で使用できる長弓が主流
矢をつがえる位置が弦の中心より下方にある
竹の切出し・処理・側木づくり・竹削り・貼り合わせなど仕上げに6工程ほどある
漆塗り・蒔絵を施したものも作られる
<京弓の構成>
弓幹(ゆがら):弓の竹の部分
弦(つる)を張る側を「弓腹(ゆはら)」、反対側を「背(せ)」と称される
弦(つる):矢をかける部分、麻弦から作られる
弓幹(竹の部分)の上部から
末弭(うらはず):弓の上端部にある弦(つる)をかけるところ
鳥打(とりうち):末弭から下部にかけて湾曲する部分
弓柄(ゆづか)または握(にぎり):弓を握る部分
鏑籐(かぶらとう)または下切詰籐(したきりつめどう):弓の下部で、本弭(もとはず)より上部に巻いてある籐(とう)のこと
弭巻(はずまき):本弭と末弭に巻いた籐のこと
本弭(もとはず)または下弭(しもはず):弓の下端部にある弦をかけるところ
<材料>
弾力性に優れている山城の真竹が用いられる
三年生・曲がりの少ないもの・傷の無いもの・周囲が七尺寸のもの・弓に適したところに節があるものが用いられる
「木六竹八(きろくたけはち)」と称され、竹は旧暦の8月(木は6月)が過ぎてから切ると良いといわれる
月の霜の降りた頃から切り始められる
竹が水分を吸い上げなくなっていて、切った後には材質がしまって使い勝手がよく、虫がつきにくいといわれる
夏場は、切ったあとに竹が縮んでしまうため避けられる
切った竹は、現地にて四つ割にされ
竹上部で枝が生えている二枚のみを弓竹として持ち帰られる
側木には、広葉樹の黄櫨(ハゼ)が用いられる
奈良時代には、ハゼだけで作られた木弓もあった
丸太から製材した後、数年ほど自然乾燥され、小割して節のないものが選ばれる
竹の切出し・処理・側木づくり・竹削り・貼り合わせなど仕上げまでに大きく10工程ほどある
特に竹の処理には相当な時間をかけられ、高級品になると30年を経るものもある
<真竹の切出し>
<油抜き>
<白竹(しらたけ)>
<煤竹(すすたけ)>
<竹合せ>
<内竹・外竹の竹削り>
<側木>
<弓芯(中打ち)作り>
<弓打ち>
<藤放し(ふじばなし)>
<張込み(荒張り)>
<村仕上げ>
<上賀茂神社>
祭神の玉依日売は、瀬見の小川で遊んでいたところに流れてきた丹塗りの矢を拾い、
床の間に飾っていたところ、懐妊したといわれる
丹塗りの矢は、火雷神(ほのいかずちのかみ)だったといわれる
10月の笠懸神事では、疾走する馬上から、鏑矢を放ち的を射る神事が行われる
9月9日の烏相撲では、
弓矢を手にし白い装束を着た2人の刀弥(とね)が、横飛びしながら出てきて「カオーカオー、コーコーコー」と烏の鳴き声を真似る
<下鴨神社>
朱塗の矢の発祥の地
玉依媛命が瀬見の小川で禊をされたという霊験の神矢が由来
5月上旬の流鏑馬神事は、賀茂祭(葵祭)の前儀の一つ
下鴨神社の糺の森の馬場で、
馬を走らせながら公家の狩装束姿の騎手が、「陰陽(いんにょう)」と声をかけ、3ヶ所の的を鏑矢で射ぬく神事
<城南宮>
「流鏑馬発祥の地」とされる
5月28日の流鏑馬では、 石畳の参道に、幅1.8m、厚さ15cmの砂を敷いて180mの馬場が作られ、
平安狩装束姿(かりしょうぞくすがた)の4人が、駆ける馬から矢を放って3つの的を射止める
<藤森神社>
5月5日の駈馬神事では、いろいろな駈馬の技が披露される
手綱潜り 降りしきる敵の矢を避けるため体を馬の横にずらして頭を下げて駈ける技
矢払い 敵の矢を打払いながら駈ける技
藤下がり 敵矢に当たったと見せかけて馬から落ちそうな姿勢で駈ける技
など
<御香宮神社>
2月の卯日の御弓始神事
大きな字で「鬼」と書いて裏返しにした邪気に見立てた的に矢を射って平穏祈う
狩衣姿の氏子により的に命中するまで矢が射られる
江戸時代から続く神事といわれる
<伏見稲荷大社>
1月12日奉射祭では、蛇を形どった大的を50m先に立てて、神官が弓で射て、その年の豊凶が占われる
<貴船神社>
2月節分祭(鳴弦神事)では、桃の枝による鏑矢を放って悪鬼を祓う神事が行われる
<八大神社>
4月第1日曜日 神弓祭(古式弓執神事)
本殿での神事の後、神前で弓で的を射り、邪気を祓う「歩射祭」で、二人の弓執りが、二本の矢をそれぞれ3ずつ的に放つ
<剣神社>
2月11日の御弓始祭(おゆみはじめさい)・厄除火焚祭では、拝殿の角で外側に向かって鏑矢を放ち、
最後に北東の角の2本の木の間につるされた「鬼」と記された的に弓を射て厄除け開運を祈願する
<市比賣神社>
5月13日の春季大祭・市比売祭(いちひめさい)の斎矢神事
お供えをした参拝者の的に矢が射られ、矢が当たった人にその矢が1年間預けられ願いが叶うといわれる
<剣神社>
2月11日の御弓始祭・厄除火焚祭
拝殿の角で外側に向かって鏑矢を放ち、
最後に北東の角の2本の木の間につるされた「鬼」と記された的に弓を射て厄除け開運を祈願する
<吉田神社>
節分祭では、黄金の四つ目の仮面をかぶった方相氏(ほうそうし)が、陰陽師(おんみょうじ)祭文を奏し、
大暴れをする赤、青、黄の3匹の疫鬼を追い払い、
疫鬼たちは、鳥居を通って逃げて行き、鳥居に向かって桃の弓で葦の矢が放たれる
<廬山寺>
2月の節分会の追儺式鬼法楽
松明(たいまつ)や剣を持ってお堂の中で暴れ回り護摩供を邪魔する赤鬼や青鬼・黒鬼に紅白の餅と豆を投げ、
追儺師が邪気払いの法弓で四方に矢を放ち、鬼たちを退散させる
<金閣寺>
2月10日お弓祭は、北野天満宮の神職が、舎利殿に向かって5本の矢を放ち天下太平を祈願する神事
北野天満宮に祀られている菅原道真は、弓の名手でもあり、
金閣寺を創建した足利義満や歴代の住職が、篤く北野天満宮を信仰していたといわれる
<石清水八幡宮>
武の神、弓矢の神、戦勝の神さんとして、清和源氏の足利氏・徳川氏・今川氏・武田氏などの氏神さんとされる
<松尾大社>
祭神の大山咋神は、鳴鏑(大形の鏃をつけた矢)を使う神といわれる
<神明神社>
源頼政が、近衛天皇を毎夜悩ました鵺(ぬえ)を退治したときに使った2本の矢尻が奉納されている
<篠村八幡宮>
矢塚には、足利高氏は、戦勝祈願の願文を奉納し、玉串に代えて、合戦開始合図に使う鏑矢を奉納した
実弟 足利直義らの武将たちが続いて次々と鏑矢を奉納し、山のように積まれたといわれる
<由岐神社>
天皇のご病気など、国の非常時には、神前に靫(ゆき)(矢を入れる器具)を奉納して平穏を祈願されたことで
「靫明神(ゆきみょうじん)」とも称される
<祇園祭の山鉾 浄妙山>
御神体の筒井浄妙は、黒装束に、矢を24本をいれた黒の箙(えびら)を背負い、塗籠籘の弓に、白柄の大長刀を持つ
橋桁は、黒漆塗、擬宝珠付で、数本の矢がささり戦さの凄まじさが表されている
<弓箭組>
時代祭の時代行列の最後を務める
丹波国南桑田郡、船井郡の弓術の技に秀でた集団組織
<三十三間堂>
1月成人の日の楊枝のお加持大法要
弓引き初めと
お堂に沿って60mの射場で矢を放ち通す「通し矢」と称される全国大会が行われる
<若宮神社>
平安時代初期に、神職 星野茂光が、神霊を勧請するにあたり矢を空中に向かって放つと、
三つの星が落ちてきて袖の中に消えたといわれる
この霊験により「流星坊」と称される
<古世地蔵堂>
源頼政の守り本尊「矢の根地蔵」が祀られている
手には、錫杖(しゃくじょう)の代わりに弓矢を持っている珍しいもの
<青蓮院将軍塚>
桓武天皇が、平安遷都に際し王城鎮護のため、高さ八尺(約2.4m)の征夷大将軍 坂上田村麻呂の像に
鉄の甲冑を着せ、弓矢を持たせて、太刀を佩かせて、都の方に向けて埋めたとされる
<寿宝寺>
本尊 十一面千手千眼観世音菩薩立像(重要文化財)
円を描いたような脇の四十手は、それぞれ日輪、月輪、鏡、矢、雲、骨、剣など40の物を持っている
<八臂弁財天>
8本の手には、弓・矢・刀・矛(ほこ)・斧・長杵・鉄輪・羂索(けんさく)を持つとされ、全て武器で、戦神としての姿をしている
<平岡八幡宮>
為朝石
弓の達人だった源為朝(鎮西八郎為朝)が矢で射抜いたと言われる石
勝運出世の石といわれる
<建仁寺>
南側正面の勅使門(重要文化財)の柱や扉に矢の痕跡があり、「矢根門(やのねもん)」「矢立門(やたちもん)」と称される
<恵解山古墳出土品 一括(京都府指定文化財)>
京都府立山城郷土資料館に寄託されている
刀剣類:直刀146点、鉄短刀1点、鉄剣11点、鉄短剣52点、槍57点以上
弓矢の鉄鏃472点
<七条大橋>
現在の欄干のデザインは、三十三間堂の通し矢のモチーフに改修されている
<道鏡>
奈良時代の僧侶、俗称「弓削道鏡(ゆげのどうきょう)」
弓削氏は、弓を製作する弓削部を統率した氏族
<那須野与市堂>
弓矢の名手だった鎌倉時代前期の武士 那須与一により再興された
<名弓「雷上動」>
楚の国の弓の名人 養由基(ようゆうき)のものだった
大江山の鬼退治などの武勲がある、頼政の高祖父 源頼光が、
夢に現れた養由基の娘 枡花女(しょうかじょ)から雷上動と水破・兵破の2本の矢をもらったといわれる
源頼光から、源頼國、源頼綱、源仲政(頼政の父親)、頼政へと伝えられたものといわれる
<京竹工芸>
竹を用いた工芸品で、京都市の伝統産業の一つ
<小笠原流>
弓術・馬術など、有職故実に基づく武家社会の故実(武家故実)の礼儀作法の流派の一つ
<京弓のご利益>
「破魔矢(はまや)」や「破魔弓(はまゆみ)」など、家内安全を願うお守りとされる