通圓(通円)(つうえん)は、狂言の演目の一つ
宇治橋供養のときに、300人ほど押し寄せて来て、平等院の縁の下で茶の点て死にした通圓の物語
宇治橋での戦いで平家軍300人と戦ったという能の演目「頼政」のパロディで能様式となっている
<あらすじ>
東国から来た旅の僧が、都の見物をすませて奈良へ向かう途中、宇治橋のたもとに着く
そこには人もいないのに茶の湯を手向け、花を供えた茶屋があるので不思議に思い、所の者に訳を尋ねると、
「あれはいにしへ、通圓という茶屋坊主が宇治橋供養のとき、茶を点てすぎて死に、今日はその命日である」と語り、回向を勧める
僧は、弔いの通夜し、夢で通円に会うことを期待して茶屋で寝ていると、枕もとに、茶碗と茶筅を持ち柄杓を腰にさした通圓の霊が現れる
通圓は、「宇治橋供養の半ばに都からの巡礼者が300人ほど、通円の点てる茶を飲みほそうと押し寄せて来たので
負けじとばかり大茶を点てて争ったが、茶筅がすり減り、お茶もなくなり、茶碗も割れて、柄杓も折れて、
ついには、お茶が点てられなくなって、平等院の縁の下の砂の上に団扇を敷き、茶筅を持ちながら辞世の一首を詠んで
茶の点て死にし最期を遂げた」と語り、回向を頼んで消えていく
<能の演目「頼政」のパロディ版>
「頼政」は、宇治橋での戦いで平家軍の軍勢が300人と押し寄せ、弓矢と刀で平家軍に立ち向かっていくが、
刀も折れ矢も尽きて、とうとう戦えなくなって平等院の境内で討ち死するという物語
「頼政」では、「水の逆巻く所をば岩ありと知るべし弱き馬をば下手に立てて、強きに水を防がせよ。
流れん武者には弓筈を取らせて、互いに力を合はすべし」と演じられるが、
「通圓」では、「水のさかまく所をば、砂ありと知るべし。よわき者には柄杓を持たせ、強気には水を担わせよ。
流れん者には茶筅を持たせ、互いに力を合はすべし」と演じられる
<通圓>
源頼政の家臣といわれる通円家の初代 政久(まさひさ)
宇治橋の合戦に出陣して討ち死にし、そのお墓が平等院にあるといわれる
子孫が、橋守を務め、茶屋を営んだといわれる
<通圓のお面>
通円にも専用のお面がある (能の「頼政」にも専用のお面がある)
悲壮感・無念さはなく、職人かたぎのような表情をしている