江戸時代初期に尾張徳川家に召抱えられ、京都を地盤として和泉流を創設し、禁裏能などで活躍し、
「京流」とも称される
現在は、東京、名古屋、金沢などを基盤として活動する
狂言には、和泉流、大蔵流、鷺派と3流派あったが、明治時代初期に鷺派は廃絶し、
現在は、和泉流と大蔵流が残っている
歌謡的要素が現代的で、叙情性が豊かなことなどが特徴
歌謡を重視して効果的に取り入れた台本や演出が多く、都会的に洗練された芸風
大蔵流に比べて、洒脱で洗練された表現が多く、明るく柔らかみがあるといわれる
現行曲は、254番と、大蔵流に比べてかなり多い
流内は、山脇和泉派(宗家派)、野村又三郎派、三宅藤九郎派に三分することができ、
各流派のもとに「家」という単位が存在し、
家ごとに活動しており、芸風や台本は家ごとで大きく異なる
<狂言共同社>
名古屋
1891年(皇紀2551)明治24年
明治維新により宗家が東京へ移住した後に、名古屋に残った弟子が芸系保持のため結成した会派
現在においては、旧宗家が断絶しており、山脇和泉派の芸系を引く唯一の会派
現在では、四代目 井上菊次郎が中心となっている
芸風は、明るく、柔らかみの強い、華やかといわれる
<野村又三郎家>
名古屋
京都の手猿楽役者だった初代 野村又三郎重信が、和泉流創立のために、客分として招かれ、
現在も、独自の演目・台本・演出などを保持している
三世 野村又三郎信明のときに、京都に住んだまま尾張藩に召し使える
明治維新後
名古屋、東京と移住する
現在の当主 11世 野村又三郎信広
芸風は、和泉流の中でも特に式楽としての品を意識する傾向が強く、
全体におとなしやかで、幽玄な柔らかみが強いといわれる
<野村万蔵・万作家>
東京
京都の手猿楽役者だった初代 三宅藤九郎が、和泉流創立のために、客分として招かれる
三世 三宅藤九郎喜納が、京都に住んだまま加賀藩に召し使える
加賀の手猿楽役者として初代 野村万蔵保尚が活躍する
明治維新後
七世 三宅庄市が、東京へ移住
八世 三宅藤九郎信之に跡継ぎがなく、三宅家が断絶する
その後、
五世 野村万蔵(初代 野村萬斎)が、加賀より上京し、三宅派の芸系が受継がれる
次男の野村万介に分家させて、「九世 三宅藤九郎」の名跡を復興させる
六世 野村万蔵(人間国宝)が、次男の野村二朗に「野村万作」を名乗らせ復興を図る
七世 野村万蔵(現在は、野村萬)(人間国宝)が相続する
芸風は、和泉流の柔らかさを残しつつ、瀟洒で洗練され「江戸前狂言」などとも称される
<三宅藤九郎家>
東京
五世 野村万蔵が、流儀の了承を得て、次男 野村万介に分家させて、
「九世 三宅藤九郎」を襲名させ、三宅藤九郎家を復興した
和泉流の宗家不在の中、流内の推挙によって、
九世 三宅藤九郎(人間国宝)の長男 三宅保之が、宗家を復興し、「19世 宗家 和泉元秀」を名乗る
1988年(皇紀2648)昭和63年
九世 三宅藤九郎の指名により、次女が「十世 三宅藤九郎」を継承し、女流狂言師として活動している
1995年(皇紀2655)平成7年
19世 和泉元秀が急逝し、和泉元彌が21歳で、流内の同意を得ることなく20世 宗家継承を行う
2002年(皇紀2662)平成14年
和泉元彌は、芸力の不足や、トラブル、スキャンダルを引き起こし、能楽協会からは退会処分を受ける
2006年(皇紀2666)平成18年6月
最高裁まで争われていた退会処分が確定する
<三宅右近家>
東京
九世 三宅藤九郎(人間国宝)の2人の息子のうち、
長男は、宗家を復興して「19世 宗家 和泉元秀」と名乗り、
次男が、三宅藤九郎家の家系を継ぎ「三宅右近」を名乗る
芸風は、野村万蔵家と変わらないが、式楽的な上品さが優るといわれる