江戸時代からの上方舞が集大成され、
能の仕舞が加味されて、独特の舞が作り上げられる
京都では、6歳の6月6日に、舞などのお稽古ごとを始める習慣がある
井上流では、一番はじめに「門松」の手ほどきを受ける
<戯曲「京舞」>
江戸時代後期
寛政年間(1789年〜1801年)
近衛家や、一条家、仙洞御所の舞指南役を勤めた井上サト(初代 井上八千代)が、宮廷文化を基盤に創始する
祇園甲部の都をどりの振付けに、井上流が採用されている
男子禁制
能楽シテ方 野村金剛家や、観世流の片山家と縁が深く、その影響を強く受けている
<澪の会>
京舞を身近に親しんでもらうため、年に数回、自宅の練習場で7日の日に行われている会
江戸時代後期
文化文政(1804年〜1830年)の頃に創設される
初代 篠塚文三郎は、上方歌舞伎の所作事の振付師として活躍する
一時期、途絶えていたが
1963年(皇紀2623)昭和38年
五世 篠塚梅扇によって再興される