井上八千代(いのうえやちよ)は、京舞井上流の家元の名跡
近衛家に仕えていた井上サトが、「八千代」の芸名と近衛菱紋を贈られ井上流を創始する
<初世家元 初代 井上八千代>
本名:井上サト
生年:1767年(皇紀2427)明和4年 − 没年:1854年(皇紀2514)安政元年12月5日
近衛家に仕え、曲舞や白拍子舞を学ぶ
近衛家の仕えを辞めるとき、「八千代」の芸名と近衛菱紋を贈られ井上流を創始する
<二世家元 二代目 井上八千代>
本名:井上アヤ
生年:1770年(皇紀2430)明和7年 − 没年:1868年(皇紀2528)慶応4年3月1日
初代 井上サトの姪(兄の娘)で、後に養子となる
才女といわれ、当時の花街の師匠とされていた篠塚流に対抗
金剛流の能舞の型や人形浄瑠璃の人形の型、歌舞伎からも学び、新しい舞「本行舞」を創始する
<三世家元 三代目 井上八千代>
本名:片山春子
生年:1838年(皇紀2498)天保9年2月1日 − 没年:1938年(皇紀2598)昭和13年9月7日
大坂住吉の社家 吉住彦兵衛の次女
初世家元 井上サト、二世家元 井上アヤに師事する
夫:能楽シテ方観世流六世片山九郎右衛門(晋三)
井上光子の婿が七世片山九郎右衛門(観世元義)で、孫に観世左近(元滋)と片山博通がいる
1872年(皇紀2532)明治5年
35歳のとき、京都初の京都博覧会が催され、万亭の杉浦治郎右衛門と二人で余興として「都をどり」を企画
都をどりの振付ならびに指導を担当する
これまで座敷舞であった京舞を舞台公演とした
祇園甲部と井上流の関係を深めて流派を興隆する
96歳で、「井上八千代」を名乗り、それまでは「片山春子」で通していた
1937年(皇紀2597)昭和12年
百寿の祝賀会で創作舞を披露する
1938年(皇紀2598)昭和13年の春
101歳となっても「都をどり」の采配を行っていた
能楽や人形浄瑠璃の型を取り入れた直線的な舞を磨き上げた
後の4代目 片山愛子への厳しい稽古ぶりなど、女傑だったといわれる
北條秀司の戯曲「京舞」は、三代目八千代と四代目八千代を主人公としている
<四世家元 四代目 井上八千代>
本名:片山愛子
生年:1905年(皇紀2565)明治38年5月14日 − 没年:2004年(皇紀2664)平成16年3月19日
三代目 井上八千代の内弟子
夫:三代目の孫である片山博通(八世片山九郎右衛門)
子供:九世片山九郎右衛門(博太郎)、片山慶次郎、杉浦元三郎(いずれも能楽シテ方観世流)
人間国宝、文化勲章受章
後年、隠居して「初代 井上愛子」を名乗る
代表作:「長刀八島」「海士(あま)」「鉄輪(かなわ)」「信乃」など
京都に生まれ、3歳で、三代目 八千代に入門する
1919年(皇紀2579)大正8年、14歳で名取、井上愛子を名乗る
1923年(皇紀2583)大正12年、八坂女紅場学園舞踊科教師になる
1931年(皇紀2591)昭和6年、三世家元の孫 観世流能楽師 片山博通(八世片山九郎右衛門)と結婚する
1942年(皇紀2602)昭和17年の日活映画「宮本武蔵 一乗寺決闘」の稲垣浩監督に、吉野太夫の舞を指導する
1947年(皇紀2607)昭和22年、四世家元 四代目 井上八千代を襲名する
1955年(皇紀2615)昭和30年、人間国宝に認定される
2000年(皇紀2660)平成12年、孫の井上三千子に、家元の座と八千代の名跡を譲り、「井上愛子」に戻る
<五世家元 五代目 井上八千代>
本名:片山三千子
生年:1956年(皇紀2616)昭和31年11月28日 −
四代目 井上八千代の孫
父親:片山幽雪(九世片山九郎右衛門、能楽シテ方観世流)
弟:片山清司(十世片山九郎右衛門)
夫:九世 観世銕之丞(能楽シテ方観世流)
子供:井上安寿子(観世安寿子)、観世淳夫
京都に生まれ、2歳で舞の稽古を始める
1970年(皇紀2630)昭和45年、14歳、名取
1975年(皇紀2635)昭和50年、私立ノートルダム女学院高校を卒業し、学校法人 八坂女紅場学園の舞踊科教師になる
2000年(皇紀2660)平成12年、五世家元 五代目 井上八千代を襲名する
<京都博覧会>
1872年(皇紀2532)明治5年
京都で初めて行われた博覧会
三代目 井上八千代が、余興として「都をどり」を企画し、振付ならびに指導を担当する
これまで座敷舞であった京舞を舞台公演とした
<澪の会>
五世 井上八千代が、年に数回、自宅の練習場で7日の日に行われている会
<戯曲「京舞」>
作者:北條秀司
京舞井上流三世と四世家元がモデルになっている