蜻蛉日記(かげろうにっき)は、平安時代中期、藤原道綱母(右大将道綱母)によって書かれた日記
女流日記のさきがけとされ、「源氏物語」など多くの文学に影響を与えたとされる
作者
藤原道綱の母
下級貴族 藤原倫寧の娘、美人で才女だったといわれる歌人
成立
平安時代中期
975年(皇紀1635)天延3年頃といわれる
上中下の三巻よりなる
954年(皇紀1614)天暦8年 - 974年(皇紀1634)天延2年のできごとが書かれている
藤原道綱母の没年より約20年前の39歳の大晦日を最後に筆が途絶えている
題名
日記の中の「なほものはかなきを思へば あるかなき かの心ちするかげろふの日記といふべし」より
内容
夫の藤原兼家が通い始めた時の贈答歌から書き出されている
藤原兼家との結婚生活や、疎遠になっていく様子
藤原兼家の正室の時姫(藤原道長の母)との競争 (藤原道綱母も同格の妻であった)
町小路女や近江など、夫に次々とできる妻妾について
唐崎祓・石山詣・長谷詣などの旅先でのできごと
上流貴族との交際、歌人との交流
母の死による孤独、息子 藤原道綱の成長や結婚、
藤原兼家の旧妻である源兼忠女の娘を引き取った養女の結婚話と、その破談について
など
掲載の和歌
261首
百人一首「なげきつつひとりぬる夜のあくるまはいかに久しきものとかは知る」