御堂関白記(みどうかんぱくき)

平安時代の貴族の摂政太政大臣 藤原道長が著した日記

自筆本十四巻
古写本十二巻

筆者:摂政 太政大臣 藤原道長

書始:995年(皇紀1655)長徳元年
最後:1021年(皇紀1681)治安元年

所蔵:陽明文庫近衛家

国宝
世界遺産(記憶遺産)

別称:法成寺摂政記、法成寺入道左大臣記、御堂御記、御堂御暦、入道殿御日記、入道殿御暦

【経緯】

【御堂関白記(みどうかんぱくき)】

 自筆本十四巻、古写本十二巻
 近衛家陽明文庫が所蔵

 筆者は、摂政 太政大臣 藤原道長で、関白になったことがなく、「御堂関白記」の名称は後世付けられたものである

 「御堂」とは、藤原道長が建立した法成寺無量寿院のこと

 現存するものは、998年(皇紀1658)長徳4年から1021年(皇紀1681)治安元年の間の記事

 国宝に指定され、世界遺産(記憶遺産)に登録されている

 記されている内容は比較的簡単なものであるが、独特な文体を用いて自由奔放に書き付けたようで、
意味不明な文章や、誤字・当字・文法的誤りなどが多く、解釈が難しいとされる

 藤原道長が書き入れる日を間違えた部分もあるという

 藤原道長の娘 彰子(後の上東門院)が一条天皇に入内した日の前後の日のことなども記されている

 1009年(皇紀1669)寛弘6年11月の上東門院が敦良親王を産んだ日のことも記されている

 <近衛道嗣の日記>
 1008年(皇紀1668)寛弘5年12月20日条の裏書に、近衛道嗣の日記「後深心院関白記」(「愚管記」)が抜書されている
 これを記したのは、近衛信尹とされる
 折状の状態にされていた自筆本のうち、1008年(皇紀1668)寛弘5年の裏にだけ、その日記を写したうえで、
元の巻子本に戻して表紙を付けた
 跡を継いだ近衛信尋がこれを発見して、景紙の外題に「裏信尹公手跡/自延文元至三年抜書」と書き付けたといわれる

【同様な日記】

 藤原摂関家の藤原忠実による「殿暦」、藤原師通による「後二条師通記」にも、
 独特な文体を用いて意味不明な文章や誤字・当字・文法的誤りなどが多く、解釈が難しいとされ、
 当時の文化を知ることができる

 藤原実資による「小右記」、藤原行成による「権記」なども、当時の貴族社会を知る重要な史料となっている


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