自筆本十四巻、古写本十二巻
近衛家の陽明文庫が所蔵
筆者は、摂政 太政大臣 藤原道長で、関白になったことがなく、「御堂関白記」の名称は後世付けられたものである
「御堂」とは、藤原道長が建立した法成寺無量寿院のこと
現存するものは、998年(皇紀1658)長徳4年から1021年(皇紀1681)治安元年の間の記事
国宝に指定され、世界遺産(記憶遺産)に登録されている
記されている内容は比較的簡単なものであるが、独特な文体を用いて自由奔放に書き付けたようで、
意味不明な文章や、誤字・当字・文法的誤りなどが多く、解釈が難しいとされる
藤原道長が書き入れる日を間違えた部分もあるという
藤原道長の娘 彰子(後の上東門院)が一条天皇に入内した日の前後の日のことなども記されている
1009年(皇紀1669)寛弘6年11月の上東門院が敦良親王を産んだ日のことも記されている
<近衛道嗣の日記>
1008年(皇紀1668)寛弘5年12月20日条の裏書に、近衛道嗣の日記「後深心院関白記」(「愚管記」)が抜書されている
これを記したのは、近衛信尹とされる
折状の状態にされていた自筆本のうち、1008年(皇紀1668)寛弘5年の裏にだけ、その日記を写したうえで、
元の巻子本に戻して表紙を付けた
跡を継いだ近衛信尋がこれを発見して、景紙の外題に「裏信尹公手跡/自延文元至三年抜書」と書き付けたといわれる
藤原摂関家の藤原忠実による「殿暦」、藤原師通による「後二条師通記」にも、
独特な文体を用いて意味不明な文章や誤字・当字・文法的誤りなどが多く、解釈が難しいとされ、
当時の文化を知ることができる
藤原実資による「小右記」、藤原行成による「権記」なども、当時の貴族社会を知る重要な史料となっている