方丈記(ほうじょうき)は、鎌倉時代初期に鴨長明が著した随筆
1212年(皇紀1872)建暦2年に完成したといわれる
清少納言の「枕草子」、吉田兼好の「徒然草」と並んで日本三大随筆とされる
漢字と片仮名、漢字と平仮名の混ざった和漢混交文体で書かれている
鴨長明が、晩年、日野山に方丈(一丈四方)の庵を創建し、そこで記したことから「方丈記」と名付けられた
隠棲文学の祖ともされる
乱世をいかに生きるかという自伝的な人生論でもあり、鴨長明無常観の文学といわれる
冒頭で移り行くもののはかなさが語られ、
前半には、当時の災厄について記され、
後半には、自らの草庵での生活が語られる
方丈記の前半には、天変地異に関することが記され、人の世のはかなさが描かれている
<安元の大火>
1177年(皇紀1837)安元3年4月28日午後8時頃
現在の京都駅付近から、舞人の宿屋から火の不始末で出火
火は、またたく間に都の西北に向かって燃え広がり、朱雀門・大極殿・大学寮・民部省など、公卿邸が16軒、
民家の3分の1が一夜のうちに焼失した
死者は数10人
<治承の竜巻>
1180年(皇紀1840)治承4年4月
中御門大路と東京極大路の交差点付近(現在の京都市歴史資料館あたり)で大きな辻風が発生
竜巻は、市街地を南南西に向かって走り抜け、現在の東本願寺あたりで消えたといわれる
家財道具や檜皮・葺板なども吹き飛ばされたといわれる
<養和の大飢饉>
1181年(皇紀1841)養和元年から2年間
朝廷では、いろいろな加持祈祷が行われたが効果もなく、物価が高騰し、疫病が広まったといわれる
仁和寺の隆暁法印が、死者の額に「阿」の字を書いて供養して歩き、42,300人にもおよんだといわれる
源頼朝や木曽義仲の挙兵や、
1180年(皇紀1840)治承4年6月の平氏の福原遷都によって都への貢米が行われなくなったことも一因とされる
<元暦の大地震>
1185年(皇紀1845)元暦2年7月9日
余震が3ヶ月も続いたといわれる