吉田兼好(よしだけんこう)は、鎌倉時代末期から南北朝時代にかけての官人・遁世者・歌人・随筆家
日本三大随筆の一つとされる「徒然草」の作者
鎌倉時代後期
1330年(皇紀1990)元徳2年8月から1331年(皇紀1991)元弘元年9月頃
随筆「徒然草」は、散文で思索や見聞した出来事などが記されている
序段
「つれづれなるままに 日ぐらし硯に向かいて 心に移り行くよしなし事を そこはかとなく書きつくれば
あやしうこそものぐるほしけれ」
室町時代中期以降、高く評価され、文体や内容が文学的に評価されているだけでなく、
当時の社会風潮などを知る貴重な史料とされる
<賀茂の競べ馬>
5月5日、上賀茂神社に賀茂競馬会神事を観にいったが、牛車の前に群衆が立ち隔っていて見えないほどだった
向いの楝(あふち)の木には法師が登って、木の股に居ついて物見ているような状況だったと記されている
<出雲大神宮>
「徒然草」の第236段で、「丹波に出雲と云ふ処あり」と、出雲大神宮のことが記されている
<大報恩寺 千本釈迦堂>
千本釈迦念仏・遺教経会の記録が残っている
<律川・呂川>
「唐土は呂の国なり。律の音なし。和国は単律の国にて、呂の音なし。」と記されている
<「吉田兼好」>
「吉田兼好」とは、江戸時代以降に通称されるようになった
卜部氏の嫡流は、吉田家、平野家などに分かれ、卜部兼好は吉田家の系統であった
出家したことから「兼好法師(けんこうほうし)」とも称される
<歌碑>
長泉寺に、吉田兼好の木像とお墓と歌碑がある
「契りおく 花とならびの丘のへに 哀れ幾世の春をすぐさむ」