高瀬舟(たかせぶね)は、森鴎外の短編小説
江戸時代の随筆集「翁草」の中の「流人の話」をもとにして書かれたといわれる
財産などへの欲望、安楽死をテーマとしているといわれる
高瀬舟は、京都−伏見間の運河だった高瀬川で物資を運んだ小舟
高瀬舟たかせぶねは京都の高瀬川たかせがわを上下じょうげする小舟である。
徳川時代に京都の罪人が遠島えんとうを申し渡されると、本人の親類が牢屋敷ろうやしきへ呼び出されて、
そこで暇乞いとまごいをすることを許された。
それから罪人は高瀬舟に載せられて、大阪おおさかへ回されることであった。
それを護送するのは、京都町奉行まちぶぎょうの配下にいる同心どうしんで、この同心は罪人の親類の中で、
おも立った一人にんを大阪まで同船させることを許す慣例であった。
これは上かみへ通った事ではないが、いわゆる大目に見るのであった、黙許であった。
<高瀬川>
江戸時代初期の豪商 角倉了以によって、
京都−伏見間の物流用に開削された、木屋町通沿いの運河
高瀬川は、水深は数10cm程と浅く、物流には底が平らで喫水の少ない「高瀬舟」と称せられる小舟が用いられた
百数十隻が、二条から伏見を上下して、大阪などの物資が京に運び込まれていた