東海道中膝栗毛(とうかいどうちゅうひざくりげ)

東海道中膝栗毛(とうかいどうちゅうひざくりげ)

著者:十返舎一九(じゅつぺんしゃいっく)

初刷:1802年(皇紀2462)享和2年から1814年(皇紀2474)文化11年 全9編
続編:1810年(皇紀2470)文化7年から1822年(皇紀2482)文政5年 全12編

主人公:弥次郎兵衛と喜多八

 東海道中膝栗毛(とうかいどうちゅうひざくりげ)は、江戸時代後期の戯作者 十返舎一九の代表作の滑稽本

 「栗毛」とは、栗色の馬のこと
 「膝栗毛」とは、自分の膝を馬の代わりに使う徒歩での旅行のこと

 駿河府中出身の弥次郎兵衛(やじろべえ)と喜多八(きたはち)が、厄払いのために、お伊勢参りを思い立ち、
東海道を江戸から伊勢神宮へ、さらに京都・大坂へ旅をする

 東海道の始点の三条大橋のたもとには、ずっこけ主人公の弥次喜多の像が立つ

【東海道中膝栗毛の歴史・経緯】


【東海道中膝栗毛の内容】

 「栗毛」とは、栗色の馬のこと
 「膝栗毛」とは、自分の膝を馬の代わりに使う徒歩での旅行のこと

 駿河府中の商家の息子 栃面屋(とちめんや)弥次郎兵衛(やじろべえ)は、旅役者 鼻之助と大借金を抱え、
二人は江戸へ逃げて、神田八丁堀の長屋に住む
 鼻之助は元服して喜多八(きたはち)と名乗り、弥次郎兵衛は結婚する

 二人は、厄払いにお伊勢参りを思い立ち、江戸から東海道を通り伊勢神宮へ、さらに京都・大坂まで旅をする
 途中の道中で、二人は、狂歌・洒落・冗談・いたずら・好色・失敗を繰り返し、行く先々で騒ぎを起こす

 「続膝栗毛」シリーズでは、弥次さん喜多さんが、金比羅・宮嶋・木曾・善光寺・草津温泉・中山道へと旅をする

【東海道中膝栗毛】

 1802年(皇紀2462)享和2年正月
 「浮世道中 膝栗毛」 品川 - 箱根

 1803年(皇紀2463)享和3年
 「道中膝栗毛 後篇 乾坤」 箱根 - 蒲原・蒲原 - 岡部

 1804年(皇紀2464)文化元年
 「東海道中膝栗毛 三編 上下」 岡部 - 日坂・日坂 - 新居

 1805年(皇紀2465)文化2年
 「東海道中膝栗毛 四編 上下」 荒井 - 赤坂・赤坂 - 桑名

 1806年(皇紀2466)文化3年
 「東海道中膝栗毛 五編 上下 追加」 桑名 - 追分・追分 - 山田・伊勢めぐり
 歌川豊国の口絵

 1807年(皇紀2467)文化4年
 「東海道中膝栗毛 六編 上下」 伏見 - 京都・京都めぐり
 歌川豊国の口絵

 1808年(皇紀2468)文化5年
 「東海道中膝栗毛 七編 上下」 京都めぐり・京都めぐり
 勝川春亭の口絵

 1809年(皇紀2469)文化6年
 「東海道中膝栗毛 八編 上中下」 大阪見物・大阪見物・生玉 - 住吉
 喜多川式麿と北川美丸の口絵・喜多川月麿の挿絵・自画

 1814年(皇紀2474)文化11年
 「東海道中膝栗毛 発端」
 喜多川式麿画

【続膝栗毛】

 1810年(皇紀2470)文化7年
 「金比羅参詣 続膝栗毛 初編 上下」
 月麿・喜多川式麿画・自画

 1811年(皇紀2471)文化8年
 「宮嶋参詣 続膝栗毛 二編 上下」
 葛飾北斎口絵・自画

 1812年(皇紀2472)文化9年
 「木曾街道 続膝栗毛 三編 上下」
 月麿・喜多川式麿画

 1813年(皇紀2473)文化10年
 「木蘇街道 続膝栗毛 四編 上下」
 月麿画

 1814年(皇紀2474)文化11年

 「木曾街道 続膝栗毛 五編 上下」
 月麿・喜多川式麿画

 1815年(皇紀2475)文化12年
 「木曾街道 続膝栗毛 六編 上下」
 喜多川式麿画

 1816年(皇紀2476)文化13年
 「岐曾続膝栗毛 七編 上下」
 二世喜多川歌麿の口絵

 同年
 「従木曾路善光寺道 続膝栗毛 八編 上下」
 二世歌麿の口絵

 1819年(皇紀2479)文政2年
 「続膝栗毛 九編 上下」
 善光寺道中・渓斎英泉の口絵

 1820年(皇紀2480)文政3年
 「続膝栗毛 十編 上下」 上州草津温泉道中
 勝川春亭の口絵

 1821年(皇紀2481)文政4年
 「続膝栗毛 十一編 上下」 中山道中
 春亭の口絵

 1822年(皇紀2482)文政5年
 「続膝栗毛 十二編 上中下」 中山道中
 自画

【十返舎一九】

 十返舎一九(じゅつぺんしゃいっく)は、作家

 本名:重田貞一

 出身:駿府町奉行所同心の次男として同心屋敷で生まれる
     主人公も、駿河(現在の静岡県)の生まれ

 頻繁に取材の旅をしたが、京都には行ったことがなく、「都名所図会」などを参考にしたといわれる

 狂言浄瑠璃歌舞伎落語・浮世草子・川柳などの素養があり、篇中に生かされている

 挿絵は、喜多川式麿や月麿のほか、ほとんど十返舎一九が自分で描いている

【その他】

 <西陣織
 「東海道中膝栗毛」には
 「商人のよき衣きたるは他国と異にして、京の着だをれの名はますます西陣の織元よりいで、
染いろの花やぎたるは堀川の水に清く」と記されている
 西陣織が全国的に知られ、「京の着倒れ(きょうのきだおれ)」という言葉があったことが分かる

 <愛宕さまへは月参>
 東海道中膝栗毛 二編上「浮世道中膝栗毛後編」に記されている京都人の信仰心を表す俗諺
 「伊勢へ七度熊野へ三度、愛宕さまへは月参」


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