徒然草(つれづれぐさ)

形式:随筆

著者:吉田兼好

時期:鎌倉時代後期

 徒然草(つれづれぐさ)は、吉田兼好が記したとされる随筆

 清少納言の「枕草子」、鴨長明の「方丈記」と合わせて日本三大随筆の一つといわれる

【徒然草の歴史・経緯】


【徒然草の構成】

 序段を含めて244段から成る

 文体は和漢混淆文と、仮名文字が中心の和文が混在している

 吉田兼好が、思索や雑感、逸話などを「そこはかとなく」紙に書いて、壁に貼って壁紙としていたものを、
後に発見した今川了俊が、現在の順序に並べたものだといわれる

【徒然草の内容】

 <序段>
 「つれづれなるままに、日ぐらし硯に向かひて、心にうつりゆくよしなしごとを、
そこはかとなく書き付くれば、あやしうこそ物狂るほしけれ。」

 「つれづれ(徒然)」は、「するべき事がなくて退屈なこと」「手持ち無沙汰なさま」
「つくづく思いにふけること」の意味がある

 <仁和寺
 吉田兼好仁和寺付近の双が丘(ならびがおか)に住んでいたため、仁和寺に関する説話が多い

 <仁和寺のある法師>  第52段
 仁和寺の老僧が「一生に一度は石清水八幡宮へ行きたい」との念願が叶って参拝に出向いた
 しかし、ふもとにある高良社や極楽寺などを参拝して満足してしまい、
今いるところが石清水八幡宮だと思い込んでしまい山には登らなかったという故事
 「どんな小さなことをするにも案内人が必要である」という逸話

 <葵祭
 お祭の様子などが書かれている

 <賀茂の競べ馬
 5月5日、上賀茂神社賀茂競馬会神事を観にいったが、牛車の前に群衆が立ち隔っていて見えないほどだった
 向いの楝(あふち)の木には法師が登って、木の股に居ついて物見ているような状況だった

 <鳥辺野
 「鳥辺山の烟立ちさらでのみ住みはつる習ひならば、いかにもののあはれもなからん。
 世はさだめなきこそいみじけれ」と記されている

 <五條天神宮
 203段
 疫病退散の神として、五條天神宮が記されている

 <由岐神社
 由岐神社五條天神宮は同じ祭神が祀られている
 五條天神宮では、国に大事が起こったときに、国の役人がその責任を取って「流罪に処す」として
神社の扉に靫(ゆき)を架けて閉じるということが行われており、由岐神社でも同様のことが行われていたことが記されている

 <出雲大神宮
 第236段で、「丹波に出雲と云ふ処あり」と、出雲大神宮の旧称「出雲神社」のことが記されている

 <大報恩寺 千本釈迦堂
 千本釈迦念仏・遺教経会が記されている

 <妙心寺
 「妙心寺鐘」と称される黄鐘調鐘(おうじきちょうしょう)(国宝)
 元 浄金剛院(廃寺)にあったもの
 音色が雅楽の黄鐘調(おうじきちょう)に合うといわれる
 徒然草に「およそ鐘のこえは黄鐘調なるべし‥‥浄金剛院の鐘の声のまた黄鐘調なり」と詠われている

吉田兼好

 吉田兼好は、鎌倉時代後期から南北朝時代にかけての官人・能書家・歌人・随筆家・古典学者

 本名:卜部兼好(うらべかねよし)
 俗称:兼好法師(けんこうほうし)

 生年:1283年(皇紀1943)弘安6年頃
 没年:1352年(皇紀2012)正平7年/文和元年頃


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