誓願寺(せいがんじ)は、世阿弥の作の能の三番目物(鬘物)の演目の一つ
誓願寺を舞台に、時宗の開祖 一遍上人を脇役(ワキ)とする
一遍上人が、紀州熊野権現に参籠しているとき、「南無阿弥陀仏決定往生六十万人」の御札を広めよという霊夢を見る
そこで、一遍上人は都に上り、まず念仏の大道場の誓願寺で御札を配ばる
そこに、信心深げな一人の女性が御札の言葉を見て、「六十万人よりそれ以上の人は往生できないのでしょうか?」と尋ねてくる
一遍上人は、「これは、六字名号一遍法、十界依正一遍体、万行離念一遍証、人中上々妙好華の四句の上の字を
とったものであり、人の数を数えるものではなく、南無阿弥陀仏とさえ唱えれば誰もが必ず往生できるのです」と説く
すると女性はありがたく喜び、「本堂の『誓願寺』の寺額に替えて、上人の手で『南無阿弥陀仏』の六字の名号を書いてください。
これはご本尊の阿弥陀如来の御告です。私はあの石塔に住む者です。」と言って、近くの和泉式部のお墓に姿を消していく
<中入>
一遍上人が、「南無阿弥陀仏」の名号を書いて本堂に掲げたところ、どこからともなく良い香りがし、花が降り、
快い音楽が聞こえ、瑞雲に立たれた阿弥陀如来と二十五菩薩と共に、額の効力で歌舞の菩薩となった和泉式部が現れる
そして、誓願寺が天智天皇の勅願によって創建された縁起が語られる
さらに、阿弥陀如来が西方浄土より誓願寺に来迎される模様などを表す荘厳優美な舞が舞われる
最後には、菩薩聖衆みな一同に本堂の六字の額に合掌して礼拝が行われる
<脇役(ワキ)の一遍上人>
時宗の開祖
念仏を唱えながら踊る「踊念仏」を始めて時宗の普及に努めた
定住することなく衆生済度のため、各地を布教して巡り、「遊行上人」とも称される
<和泉式部>
娘に先立たれ、その哀しみから世の無常を感じた和泉式部は、播州の書写山へ高僧 性空上人を訪ね
「京都八幡山の大菩薩に祈るべし」と言われ、石清水八幡宮で祈願すると、夢に老僧が現れ「誓願寺で祈るべし」と告げられた
和泉式部が、誓願寺で48日間篭って一心に念仏を唱えたところ、霊夢に老尼が現れて、
「念仏をとなえれば女人の往生は疑いなし」とお告げがあったといわれる
和泉式部は、尼となり、庵を結び(後の誠心院)、往生したといわれる