西行桜(さいぎょうざくら)は、世阿弥の作の能の四番目物(一場)の演目・謡曲の一つ
西行法師が隠棲した西山の西行庵を舞台に、老桜「西行桜」の精を主人公(シテ)とする
嵯峨野の奥の西山に隠棲する西行法師の庵には桜の名木があった
春ごとに、見事な桜の花にひかれてみんなが拝観に訪ねて来る
西行法師は、修行の支障になると、今年の春は花見客の訪問を受付けしないようにと
使いの者に申しつけるが、例年通り、都の人々が花見のために西山に押しかけてくる
西行法師は一人で花を愛で、悟りを求めようとするが、遙々訪ねて来た花見人たちに案内を乞われ、
仕方なく見物を許し、人々は今を盛りと咲く桜を愛でて花見に興じる
西行法師は、世を捨てたとはいえ、この世の他には棲家はない、どうして隠れたままでいられようかと
「花見んと 群れつつ人の来るのみぞ あたら桜の 咎にはありける」と歌を詠む
西行法師は人々とともに夜すがら桜を眺め明かそうと木陰でまどろんでいると、その夢に老桜の精が現れる
「世を捨てた身となっているが心には未だ華やかさが残っている」といい、「桜はただ咲くだけのもので、
非情無心の草木に咎などあるわけがない」「煩わしいと思うのも人の心だ」と西行法師を諭す
老桜の精は、「見渡せば柳桜をこきまぜて 都は春の錦 燦爛たり」と都周辺の桜の名所を案内して西行法師を楽しませ、
春の夜のひとときを惜しみ舞を舞った
やがて夜明けとともに老桜の精は姿を消し、西行法師が目覚めると辺り一面には雪のように花が散り敷いていた
<西行桜(さいぎょうさくら)(勝持寺)>
鐘楼の傍らに西行法師が植えたゆかりの八重桜
現在の桜は、三代目
<西行法師>
平安時代から鎌倉時代初期にかけての武士・僧侶・歌人
1140年(皇紀1800)保延6年
西行法師が、勝持寺で出家して庵を結んだといわれる
<四番目物>
個々の持つ複数の要素が相互に様々に重なり合った多種多様な能
一・二・三・五番目物に入らないものが四番目物とされ、「雑能物」とも称される