田村(たむら)は、能の二番目物(修羅能)の演目・謡曲の一つ
清水寺を舞台に、坂上田村麻呂を主人公(シテ)とする
東国の旅僧が従僧とともに都見物に上洛してきて、3月半ばに清水寺に着き、たそがれ時の桜に見とれていた
そこに箒(ほうき)を持った少年が現れ、その木陰を掃ききれいにする
少年に声をかけると、地主権現に仕える者だといわれ、清水寺の由来を尋ねると、坂上田村麻呂が建立した縁起を詳しく語った
あたりの名所を尋ねたりしていると、日が暮れ、月が花に照り映える桜月夜となる
少年と僧は、「春宵一刻値千金」の詩を口ずさみながら、清水寺の桜を楽しんだ
僧が、少年に名前を尋ねると「私の帰る所を見ていて下さい」と、田村堂の内陣へと姿を消した
残された僧は、清水寺門前の者に「少年は坂上田村麻呂の化身だろう」といわれ回向を勧められる
僧が夜通しで桜の木陰で法華経を読んでいると、威風堂々たる武将姿の坂上田村麻呂の霊が現れる
坂上田村麻呂は、「鈴鹿山の朝敵を討ち国土を安全にせよ」との勅命を受けて、
千手観世音を参拝して願をかけて軍勢を率いて合戦に臨むと、合戦の最中に千手観世音が出現して、
その助けにより朝敵をことごとく滅ぼした様子を語り、これも観音菩薩の仏力によるものと述べる
<主人公(シテ)>
二番目物(修羅能)のほとんどが平安時代末期に活躍した源氏・平氏の武将をシテとされるが、
「田村」は、平安時代初期の武将 坂上田村麻呂をシテとする
<二番目物(修羅能)>
合戦で討ち取られた武将の活躍や最期の様子を描くのではなく、
清水寺の由来や本尊の千手観音菩薩の仏力のありがたさを描くことが中心となっており、
二番目物(修羅能)でありながら悲壮感はなく、祝言的な色彩が強い
<勝修羅三番>
合戦の勝者をシテとする修羅能であることから、「箙」「屋島」とともに「勝修羅三番」の一つとされる
<作者>
作者は不明だが、世阿弥の作ともいわれたり、古い作品を世阿弥が手を加えたともいわれる
<坂上田村麻呂>
797年(皇紀1457)延暦16年
征夷大将軍に任じられ、数度にわたる遠征によって陸奥平定に尽力した
坂上田村麻呂が、妻 高子の病気平癒の薬になる鹿の生き血を得るために鹿狩りをしているときに、
修行中の延鎮上人に出会い殺生を戒められ、延鎮上人に協力して清水寺を創建した
<地主桜(じしゅざくら)(地主神社)>
清水寺境内の地主神社にある1樹に八重と一重の花を咲かせる桜
嵯峨天皇が行幸され、あまりの美しさに、2度3度と車を引き返して見事な桜を眺めたといわれ
「御車返しの桜(みくるまがえしのさくら)」と称される
「田村」では、「地主権現の花(ごんげんのはな)」と謡われている