世阿弥(ぜあみ)は、大和猿楽四座の一つ結崎座の出身で後の観世座の祖である観阿弥の息子
父親の観阿弥とともに将軍 足利義満の保護を受け猿楽能を幽玄の芸術として大成し、多くの書を残した
父親の死後、観世大夫を継が、足利義満の死後は排斥され、晩年には佐渡に配流される
観阿弥、世阿弥の猿楽能は観世流として現代に受け継がれている
<醍醐寺>
興福寺から京都へ進出し、醍醐寺で7日間の興行をして有名となる
清滝宮の楽頭職も勤めた
<新熊野神社>
将軍 足利義満との出会いの場所
<観世稲荷>
観世屋敷跡
観世水の井戸がある
<金閣寺>
将軍 足利義満の命により、たびたび猿楽能を演じた
<大徳寺の塔頭真珠庵>
供養塔がある
<名前「世阿弥」の由来>
時宗の法名「世阿弥陀仏号」が省略されて「世阿弥」と称される
「世」は、観世に由来する
「阿弥陀如来」は、時宗の男性につけられる法名
「世」が「ぜ」と発音されるのは、足利義満の命によるものといわれる
<作品>
猿楽能における脚本である謡曲(節と詞)を50曲近く残している
「風姿花伝」「至花道」「金島書」「高砂」「井筒」「実盛」など
<著書「風姿花伝」>
父親の観阿弥の遺訓にもとづいて書いた最初の能楽論書
<著書「花鏡」>
猿楽能の芸術論を集成し、長男の観世元雅(かんぜもとまさ)に授けた秘伝書
<その他の著書>
「至花道」「九位」「世子六十以後申楽談儀」「花習内抜書」「音曲口伝」「二曲三体人形図」
「三道」「曲付次第」「風曲集」「遊楽習道風見」「五位」「九位」「六義」「拾玉得花」「五音曲条々」
「五音」「習道書」「夢跡一紙」「却来華」「金島書」「金春大夫宛書状」など