金春座(こんぱるざ)

金春座(こんぱるざ)は、大和猿楽四座の一つである猿楽の流派

シテ方金春流と太鼓方金春流がある
大鼓方金春流は、明治時代に廃絶した

円満井座(えんまんい)が由来

【金春座の歴史・経緯】

【金春座の構成】

 <シテ方>
 金春流
 奈良時代秦河勝を流祖とされる
 室町時代前期に奈良春日大社・興福寺に奉仕した大和猿楽四座の一つの円満井座が由来
 円満井座の中心となっていた毘沙王権守と、その子 金春権守が流儀の基礎を築く
 金春権守の孫 57世宗家 金春禅竹のころ、京都に進出し、一大勢力を築く 
 現在は、80世宗家 金春安明に継承されてきている
 型、謡とも、濃厚な下掛りの特色があり、五流の中で最も古風な芸風といわれる


 <太鼓方>
 金春流、金春三郎右衛門流(金春又右衛門家)、金春流(金春惣右衛門家)(増見家)

 太鼓方金春流(惣右衛門流)は、金春禅竹の伯父 金春豊氏を流祖とする
 代々金春座の座付として一族内で世襲されてきた
 1917年(皇紀2577)大正6年に、増見林太郎が宗家を復興して、21世 金春惣右衛門国泰を名乗り活躍する
 22世 金春惣右衛門国長が、人間国宝に指定される
 当初は朴強な芸風であったといわれる
 21世 惣右衛門によって、近代的な軽快さが加味されるようになり、全体に華やかな芸風
 観世流に比べて撥の扱いが軟らかく、掛け声が多い


 <大鼓方>
 大倉流

 桃山時代
 大鼓方金春流としては、太鼓方 金春又右衛門の子 金春三郎右衛門が、大鼓方大倉流五世 大蔵源右衛門に師事して、
流派を起こす
 明治時代の能楽衰退期に宗家の家系が途絶える


 <ワキ方>
 春藤流

 <小鼓方>
 幸流、大倉流

 <狂言方>
 大蔵流

【主な人物】

 <シテ方57世宗家 金春禅竹>
 世阿弥に師事し、世阿弥の娘婿となる
 世阿弥から、「拾玉得花」「花鏡」などの伝書を相伝し、その演技によって人気を集めた
 「定家」「芭蕉」「杜若」など、現在でも演じられる佳曲を作能した
 「六輪一露の説」などの芸論も著す

 <シテ方59世宗家 金春禅鳳>
 風流能を流行らせた
 「生田敦盛」「初雪」などを著す


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