京観世五軒家(きょうかんぜごけんや)は、江戸時代、猿楽能の観世流宗家が、徳川将軍家に仕えるために
江戸に移ったあとに、京都において観世流の素謡(すうたい)の師範にあたった五家のこと
当初は、観世流脇方(わきかた)の福王流(ふくおうりゅう)宗家の服部宗巴が、
観世京屋敷の管理と観世流の諸用向きを取り仕切る
服部宗巴の後、息子の服部宗碩(はっとりそうせき)が継ぐ
後に、服部家の門弟であった
岩井家・浅野家・薗家・林家・井上家の五家を「京観世五軒家(きょうかんぜごけんや)」と称する
服部宗碩の没後は、服部家に代わって、片山家が、京都の観世流を取り仕切る体制になる