京都の絵画(Picture of KYOTO)

京都の絵画は、中国から伝わてきた宗教絵画が中心となり発展してきた

源氏物語などの絵巻物により日本的な絵画が「大和絵」として伝統化されていく

安土桃山時代になると、宗教絵画から離れて、世の中の様子が好んで描かれるようになる

京都の国宝(美術工芸品)

平安時代以前】

 京都の古墳文化には、絵画を見出せない

 奈良時代
 「著色 絵因果経(えいんがきょう)(国宝)(上品蓮台寺)」に絵画が描かれている
 京都最古の絵巻物

平安時代

 <大和絵(やまとえ)>
 平安時代国風文化として日本的な絵画が発達し、中国風の絵画に対して「大和絵(やまとえ)」と称される
 源氏物語などの絵巻物に典型的に見られ、
 土佐派などの流派に受け継がれ、近代・現代の日本画にも影響を及ぼす

 <真言七祖像(絵画)(国宝)(東寺)>
 唐の画家 李真(りしん)が、真言宗の祖師7人の肖像画を描いたもの
 7幅のうち5幅は空海が中国 唐から真言宗の秘法とともに持ち帰ったもの
 唐時代絵画の数少ない貴重な遺品

 <両界曼荼羅図(伝・真言院曼荼羅)(国宝)東寺)>
 「西院曼荼羅」とも称され、日本に伝わる両界曼荼羅のうち最も著名である
 平安時代初期の作品で、鮮烈な色彩とインド風の濃い諸仏の官能的な肢体が特色

 <紫綾金銀泥両界曼荼羅図(高雄曼荼羅)(国宝)(神護寺)>
 空海が唐から請来した曼荼羅を手本に紺紙金泥で描かれた両界曼荼羅図(りょうかいまんだらず)
 胎蔵界(たいぞうかい)、と金剛界(こんごうかい)が描かれ、世界が数多くの仏によって創られることを表現している
 現在する最古のもので美術史上、仏教史上に貴重な作品
 金剛界曼荼羅と胎蔵界曼荼羅の2幅とも縦4mを超える大作
 彩色本ではなく、紫色に染めた綾地に金銀泥で描かれている

 <別尊曼荼羅醍醐寺)>
 密教僧は、図像を描くことが修行として課せられており、密教図像が多く残されている

 <十六羅漢像(絵画)(国宝)(清凉寺)>
 中国 北宋時代の羅漢像として唯一の遺品
 東京と京都の国立博物館に8幅ずつ寄託されている

 <孔雀明王像(絵画)(国宝)(仁和寺)>
 中国 北宋時代の仏画

平安時代末期】

 大和絵の伝統が土佐派などの流派に受け継がれ、
 宮廷の絵画を管理する「絵所預(えどころあずかり)」の土佐派の絵師や、絵仏師など、専門画家が生まれてくる

 「似絵(にせえ)」と称される肖像画が描き始める

 <頂相図(ちんそうず)(東福寺)>
 中国に学んだ禅僧が、師の姿を描いたもの

 <五大尊像(仏画)(国宝)(東寺)>
 平安時代後期の作品で、後七日御修法のときに道場に掛けられた仏画

 <山越阿弥陀図(やまごえあみだず)(禅林寺)>
 極楽往生を願って描かれたもの

 <鳥獣人物戯画(ちょうじゅうじんぶつぎが)(国宝)(高山寺)>
 甲乙丙丁の4巻からなる絵巻
 すべて墨画で彩色はなく、絵のみで構成されている
 甲巻は、、蛙、などの動物を擬人化したもので、4巻の中でもっとも著名
 乙巻は、写生風の動物絵
 丙巻は前半が各種の競技やゲームに興じる人物の戯画で、後半は、動物戯画
 丁巻は荒々しいタッチの人物戯画である
 鳥羽僧正の作品といわれてきたが、内容や画風が各巻で異なるため、制作年代は甲・乙巻が平安末期、
丙・丁巻は鎌倉時代と推定される
 特に甲巻のユーモラスな動物戯画は秀逸で、現代日本の漫画文化のルーツともいわれる
 現在は、東京国立博物館に寄託されており、高山寺で見られるのは模本品

 <絹本着色釈迦如来像(国宝)(神護寺)>
 通称「赤釈迦」と称され、赤の衣を着た釈迦像を大きく表わし、衣、光背、台座などは繊細な切金文様と彩色で飾られている
 平安時代末期の仏画

 <絹本着色伝・源頼朝像(国宝)><伝・平重盛像(国宝)><伝・藤原光能像(国宝)(神護寺)>
 我が国の肖像画史上の傑作とされる
 「神護寺略記」の記述などをもとに源頼朝、平重盛、藤原光能とされているが確証がなく、
国宝の指定名称にも「伝」の字が付されている
 平安時代末頃の作品で、作者は、似絵の名手 藤原隆信とされている

 <絹本着色山水屏風(せんずいびょうぶ)(国宝)(神護寺)>
 平安時代末から鎌倉時代初期の作品である大和絵の優れた作
 密教修法の際に、道場に立てた屏風といわれる

 <伴大納言絵詞
 応天門の変を題材にした平安時代末期の国宝の絵巻物

 <鳳凰堂壁扉画(へきひが)14面(国宝)(平等院)>
 藤原頼通が、極楽浄土の宮殿を表す平等院鳳凰堂を建立した中堂(国宝)の扉10面、壁4面に描かれた絵
 多くは来迎する阿弥陀を景色の中に表現させた九品来迎図
 平安時代後期の貴重な遺品
 絵の剥落がはげしく、江戸時代末期の落書きも目立つ
 堂正面と側面のオリジナルの扉は取り外して宝物館に収められており、代わりに復元模写の扉が付けられている
 東側正面中央の2面の扉は、1670年(皇紀2330)寛文10年の修理の際に取り替えられ、
国宝の14面には含まれず「附(つけたり)指定」となっている

 <絹本著色 不動明王ニ童子画像(国宝)青蓮院)>
 「青不動」と称される平安時代後期の仏画
 掛幅装で、203,3cm×148,5cm
 日本三大不動(園城寺(三井寺)の黄不動、高野山明王院の赤不動)の一つ
 不動明王は、宇宙の全てを司る中心的な存在である大日如来の化身
 平安仏画の最高峰といわれ、古来より篤く信仰されている
 奈良国立博物館に寄託されている

鎌倉時代

 <華厳宗祖師絵伝(けごんしゅうそしえでん)(華厳縁起(けごんえんぎ)(国宝)(高山寺)>
 新羅の華厳宗の祖とされる義湘と元暁の伝記絵巻で、鎌倉時代の作品

 <明恵上人像(絵画)(国宝)(高山寺)>
 「樹上座禅図(じゅじょうざぜんず)」と称される
 通例の祖師像と異なり、明恵上人の姿は山中の自然景の中に小さく表現されている、鎌倉時代の作品

 <仏眼仏母像(ぶつげんぶつもず)(絵画)(国宝)(高山寺)>
 鎌倉時代初期の作品で、明恵上人の念持仏の絵
 図中には明恵上人自身による書き込みがある

 <十二天屏風(国宝)(東寺)>
 鎌倉時代の作品で、十二天が屏風の一扇ごとに描かれている

 <法然上人絵伝(四十八巻)(国宝)(知恩院)>
 法然上人の伝記や、弟子たちの事蹟が記されている鎌倉時代の絵巻
 法然上人の誕生から入寂までの出来事や、法語、消息、著述などの思想も記されている
 1307年(皇紀1967)徳治2年から
 後伏見上皇の勅命で、比叡山功徳院の舜昌法印(知恩院九世)が10数年費やして制作されたといわれる
 能書家の伏見天皇(青蓮宮尊円(しょうれんのみやそんえん)法親王)らの詞書(ことばがき)を添え、
絵師の土佐吉光(とさよしみつ)らによって描かれている
 鎌倉時代後期の宮廷絵所絵師の画風が見られる

 <阿弥陀二十五菩薩来迎図(国宝)(知恩院)>
 鎌倉時代後期の仏画
 高くそびえ立つこと山岳を越えて、勢至菩薩阿弥陀如来や諸聖衆が、往生者のいる屋形に来迎する様子が描かれている
 屋形の机上には法華経らしい経巻が置かれ、空中に夢幻的な宝楼閣や多数の化仏が表わされた「上品上生図」
 速度感あふれる来迎雲が描かれ「早来迎(はやらいごう)」とも称される

 <無準師範像(絵画)(国宝)(東福寺)>
 南宋時代1238年の作
 無準師範(ぶじゅんしばん)は、開山 円爾弁円の師にあたる宋の高僧
 円爾弁円が無準師範から与えられたもので、禅宗では、弟子に師匠の肖像画を与えることは修行が完了したことの印とされる

室町時代

 室町幕府に仕え美術工芸品の鑑定や管理をする「同朋衆」がおかれる
 同朋衆により、中国の水墨画が収集され管理されており、それを学ぶ、雪舟狩野正信などの絵師が京都に集まってくる

 同朋衆三阿弥が活躍する
 能阿弥(のうあみ)・芸阿弥(げいあみ)・相阿弥


 <狩野派
 狩野正信が、幕府お抱え絵師となり、江戸時代末まで継続する狩野派を開く
 狩野派は、大和絵の伝統と、中国の水墨画の技法、主題を統合したと評される


 <瓢鮎図(ひょうねんず)(国宝)(退蔵院
 日本の水墨画の創始者の一人である如拙の代表作


 <吉山明兆
 東福寺において、初の寺院専属の画僧として大成した

桃山時代

 宗教的な絵画から離れて、世の中の様子が好んで描かれるようになる
 商品として描かれた絵を売り買いする「絵屋」も生まれてくる

 <洛中洛外図屏風
 狩野松栄狩野永徳が、京都の四季風俗を描いたもの

 「扇絵(おうぎえ)は俵屋(たわらや)」と称されるほどの名手 俵屋宗達が活躍する

 <「松鶴図」(国宝)(西本願寺
 対面所下段の間の障壁画
 渡辺(狩野)了慶の作
 狩野了慶は、桃山時代から江戸時代初期にかけて活躍した絵師で、
狩野光信に学び、西本願寺の障壁画制作の中心的役割を果たす

 <海北友松
 武士から画家に転進し、豊臣秀吉や宮中からも用命を受けた絵師

 <大書院障壁画「桜楓図」25面(国宝)
 長谷川等伯(はせがわとうはく)が描いた「楓図(かえでず)」と、長男の長谷川久蔵が描いた「桜図」)
 「松に立葵図」「松に秋草図」「松に黄蜀葵図など祥雲禅寺の客殿に描かれていた障壁画
 往時の荘厳を見ることができる大和絵の大作

江戸時代

 徳川幕府は、御所や二条城の障壁画を、江戸の狩野探幽に命じる

 京都の狩野山楽は、豪華な襖絵を大覚寺に残す

 京狩野の第2代 狩野山雪

 長谷川等伯は、妙心寺龍泉庵に「枯木猿猴図」を残す

 土佐光起は、御所の絵所預に従事し、「大和絵」を再興する

 <琳派
 大胆な構図、たらしこみの技法などを用いた画家らが活躍する

 <海北派>
 海北友松の子 海北友雪により再興される

 <風神雷神図屏風(国宝)
 建仁寺の屏風
 俵屋宗達の作

江戸時代中期】

 文人画、写生画の諸流派が生まれてくる
 尾形光琳、弟 尾形乾山の陶器との合作が著名
 池大雅与謝蕪村伊藤若冲曾我蕭白渡辺始興円山応挙呉春原在中などが活躍する

 <円山派
 円山応挙を祖とする画派

 <四条派
 与謝蕪村の文人画(南画)を基礎とし、円山派の写生画風を取り入れた呉春を祖とする画派

 <岸派>
 岸駒を祖とする画派


 <石田幽汀
 江戸時代中期の鶴澤派(狩野派の一派)の絵師
 写実性の強い装飾性がある画風が特徴で、円山応挙、田中訥言、原在中らの師

江戸時代後期】

 <東山春秋展観>
 諸国から書画が集められ、東山の料亭で展覧会が開催される

 <江戸琳派>
 酒井抱一が、琳派を再興し、江戸琳派の祖となる

 <原派>
 原在中が、土佐派・円山派四条派・岸派・古狩野派などを融合した精密で説明的な装飾的画風で原派を形成していく

【明治時代】

 日本最初の美術学校である京都府画学校が創設される
 教師として、幸野楳嶺竹内栖鳳今尾景年などがいた
 上村松園などを輩出する

 橋本関雪
 日本画家の大家
 銀閣寺の近くに画室「白沙村荘」を建て広大な池泉回遊式庭園を作る

 富岡鉄斎
 日本最後の文人といわれる文人画家

 浅井忠
 本格的洋画研究所の先駆けとして関西最大の洋画学校「関西美術院」を設立する

 神坂雪佳
 たらしこみ技法などの琳派独特の技法や構図を生かした作品を多数描き、琳派の継承者として位置づけられる
 工芸品のデザイン分野でも幅広く活躍し、日本における近代デザインの先駆者とされる

 石田有年
 銅版画家

【昭和以降】

 <「八方睨みの龍」(天龍寺
 法堂(はっとう)の天井画の雲龍図
 加山又造の作

 <竹内栖鳳
 第一回文化勲章 受章
 「斑猫 (重要文化財) 」(東京・山種美術館)

 <上村松園
 女性の目を通して多くの「美人画」を描き、女性で最初に文化勲章を受ける

 <片岡球子
 面構シリーズ・富士山」シリーズ・裸婦のポーズシリーズ

【その他】

 <雲龍図
 <涅槃図


 <京都の国宝(美術工芸品)


【京都検定 第1回3級】

29.東寺は、密教美術の宝庫で多数の国宝を有しているが、最も著名といわれる国宝の曼荼羅図は、何曼荼羅図か?

43.大正時代、銀閣寺近くに画室をかまえて「白沙村荘」と名付けた日本画家は誰か?

58.猿や蛙などを人間に見立てた絵巻物「鳥獣人物戯画図」を所蔵する寺院はどこか?

59.二条城の二の丸御殿に残る絢爛豪華な障壁画は何派の作品か?

【京都検定 第2回3級】

【京都検定 第3回3級】

【京都検定 第4回3級】

【京都検定 第5回3級】

【京都検定 第6回3級】

【京都検定 第7回3級】

【京都検定 第8回3級】

【京都検定 第1回2級】

【京都検定 第3回2級】

【京都検定 第4回2級】

【京都検定 第5回2級】

【京都検定 第6回2級】

【京都検定 第7回2級】

【京都検定 第9回2級】

【京都検定 第2回1級】

【京都検定 第3回1級】

【京都検定 第4回1級】

【京都検定 第5回1級】

【京都検定 第6回1級】

【京都検定 第7回1級】


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