浅井忠(あさいちゅう)は、明治時代の洋画家
黒田清輝とともに「日本近代洋画の父」と称され、田園風景を情感豊かに描き「風景画の巨匠」と称される
<「春畝」(重要文化財)>
東京国立博物館蔵
<「収穫」(重要文化財)>
東京芸術大学蔵
晩年の京都では、日本のグラフィックデザイン、工芸デザインの開拓者とされ、「和とモダンの融合」に取り組み、
フランス留学によるアール・ヌーボー様式と、琳派に代表される和の装飾美を独自の形で融合させたとされる
<関西美術院>
1903年(皇紀2563)明治36年
京都の自宅に、聖護院洋画研究所を開いて後進の育成を行ったのが由来
1906年(皇紀2566)明治39年3月2日の設立
初代院長:浅井忠
安井曽太郎、梅原龍三郎、津田青楓、向井寛三郎を輩出している
<小説「三四郎」>
著者:夏目漱石
登場する深見画伯のモデルともいわれる