岸駒(がんく)は、 江戸時代中期から後期の絵師
迫力ある虎の絵を得意としていた
岸派(きしは)の祖
特定の師はいなく、狩野派、南蘋派、四条派を独自に学ぶ
筆法の鋭い写実的描写によって、虎やクジャクなどの動物画に優れていた
<岸駒の虎>
迫力ある虎の絵を得意としていた
同じく虎を得意な画題の一つにしていた円山応挙の亡き後、虎描きの名手として名を馳せた
当時は、実物の虎を見ることができなかったため、猫をモデルにして描いたといわれるが、
岸駒は、中国の商人から虎の頭蓋骨を手に入れ、それに知人から借りた虎の頭の皮を被せ、
その姿を様々な角度から精密に写生したといわれる
その後、虎の四肢も入手し、牙と歯の本数や形状を計測した、詳細な観察記録が残っている
<岸派>
門人は、長男の岸岱 (きしたい)、養子の岸良、義子の岸連山、岸龍、望月玉川、白井華陽、
河村文鳳、村上松堂、横山華山など多数
四条派に対抗して岸派を形成した
<清水寺>
仁王門(重要文化財)の右下にある灯籠に刻まれている「八方にらみの虎」と称される「虎の図」
どの角度から見ても睨みつけられたように目が合うことから、清水寺の七不思議とされている
<修学院離宮>
寿月観の水墨の襖絵
<檀王法林寺
龍虎図
<実相院>
中庭に置かれている石灯籠「寒山拾得の図」
岸駒が隠棲していた、日蓮宗の證光寺が廃寺となり、実相院に合併されたため移される
<建仁寺>
二曲一双 紙本墨画 虎図屏風
154.0cm×167.0cm
周囲を睥睨しながら松の傍らを行き過ぎようとする虎が描かれている
右隅に「越前守岸駒」の款と、「功館岸駒」の白文方形印がある
<曼殊院>
大玄関の孔雀の間の襖絵
南画風の日本画で、人間の一生を孔雀の姿で表現したものといわれる
<随心院>
鶴亀図(双幅)