原在中(はらざいちゅう)は、江戸時代後期の絵師
原派と称される一派を自ら形成した
絵師 山本探淵に仕えて仏画を学ぶ
石田幽汀に師事して画技を学んだ
同門の円山応挙の写実的表現などからも大きな影響を受けている
京都の寺院をまわり、中国 元・明の絵画や、狩野元信や狩野永徳らの絵画から独学する
有職故実を研究し、有職人物画も得意にして、寛政造営の御所の障壁画の制作にも携わった
心学者の手島堵庵とも交流したといわれる
土佐派・円山派・四条派・岸派・古狩野派などを融合した精密で説明的な装飾的画風に特色がある
江戸時代中期の京都ではすでに、狩野派や土佐派、円山派、岸派、古狩野派などが活躍していたが、
原在中は、自ら一派を築こうとしたといわれる
長男 原在正(ざいせい)、次男 原在明(ざいめい)、三男 原在善(ざいぜん)(ざいしん)、四男 原在親(ざいしん)(梅戸在親)など、
「在」の一字を受け継いで絵師としての家系を維持させた
息子たちと合作を多く描き、作品中に落款を入れさせてアピールさせている
朝廷との関係性も維持させている
<紙本著色 百鬼夜行図屏風 六曲一双>
大倉集古館所蔵
1778年(皇紀2438)安永7年の作
227cm x 72cm
大徳寺塔頭 真珠庵所蔵「百鬼夜行絵巻」を色や形まで忠実になぞりつつ、行列の順序が変えられている
<板絵著色 神馬図絵馬 1面>
今宮神社所蔵
1796年(皇紀2456)寛政8年の作
176cm x 206.5cm
<紙本淡彩 東山三十六峯図巻 1巻>
京都府立総合資料館所蔵
1803年(皇紀2463)享和3年3月の作
<紙本淡彩 相国寺方丈障壁画 64面>
相国寺所蔵
1819年(皇紀2479)文政2年の作
「補陀落図」24面、「琴棋書画図」20面、「群仙図」20面
<三玄院客殿障壁画 31面>
大徳寺塔頭 三玄院所蔵
1820年(皇紀2480)文政3年の作
・「波に虎図(八方睨みの虎)」14面
虎や龍は、仏法を護持する霊獣とされている
左側の虎の絵は、中国の南宋末の禅僧画家 牧渓(もっけい)の絵をもとに描かれたといわれる
どこから見ても睨んでいるように見え「八方睨み」と称される
右側の龍の絵は、龍の動きが早と想像されて頭部などは描かれず、逆巻く波と雲、龍の鱗が溜込技法により描かれている
・「猿猴図」5面、「花鳥図」8面、「芦雁図」8面、「雪景山水図」6面
四季の花鳥風月を、狩野派・円山派・阿弥派・土佐派・琳派などの技法を用いて描かれている
<渓流菊花図 六曲一双>
醍醐寺所蔵
1822年(皇紀2482)文政5年の作
各149cm x 210cm
<紙本著色 冷泉為章図 1幅>
冷泉家所蔵
1822年(皇紀2482)文政5年頃の作
冷泉為章の寿像、89.4cm x 41.8cm
<紙本墨画淡彩 舟行訪隠図 襖4面(京都市指定登録文化財)>
仁和寺奥座敷
1824年(皇紀2484)文政7年の作
仁和寺の奥座敷の全20面を、原在中と、谷文晁、東東洋、森徹山、岸駒が4面ずつ制作した
<四季花鳥図屏風 八曲一隻>
仁和寺所蔵
1829年(皇紀2489)文政12年の作
<紙本著色 花鳥図屏風 六曲一双>
聖護院門跡所蔵
1829年(皇紀2489)文政12年の作
304.5cm x 109cm
<波に鶴・竹に鶴図 二曲一双>
大徳寺塔頭 真珠庵所蔵
1829年(皇紀2489)文政12年の作
183.5cm x 168.5cm
<建仁寺開山堂方丈障壁画>
建仁寺所蔵
上間二の間の「松鶴波図」16面、二の間の「白梅群禽図」14面、下間一の間の「水墨山水図」10面
杉戸絵「孔雀図」
<観音三十三身図 全33幅>
酬恩庵所蔵
「法華経」のなかの「観世音菩薩普門品第二十五」(観音経)にもとずき、
観世音菩薩が、三十三の困難な状況に応じて応身して(姿を変えて)衆生を救うさまが描かれてる
各54cm x 145cm
お盆の8月15日、16日のみ方丈に掲げられ公開される
<杉戸絵>
寛政度御所常御殿の杉戸絵
現存しない