橋本関雪(はしもとかんせつ)は、大正・昭和時代の日本画家の大家
大正時代、銀閣寺近くに画室をかまえて、「白沙村荘」と名づけ、広大な池泉回遊式庭園を創作した
特に、水墨の動物画に卓越した筆技が見られる
古美術研究家としても知られている
<猟>
1915年(皇紀2575)大正4年
白沙村荘
<意馬心猿>
1928年(皇紀2588)昭和3年
京都国立近代美術館蔵
<長恨歌>
1929年(皇紀2589)昭和4年
京都市美術館の所蔵
<関雪桜(かんせつざくら)>
哲学の道の西田幾多郎の歌碑の回りの桜
1921年(皇紀2581)大正10年
妻 米子により植えられる
<白沙村荘>
通称:橋本関雪記念館(はしもとかんせつきねんかん)
橋本関雪の設計による池泉回遊式庭園は約1万m2
橋本関雪の作品やコレクションが展示されている
<建仁寺>
1940年(皇紀2600)昭和15年
台風被害の復旧後に設置された障壁画「生生流転(しょうじょうるてん)」
<関雪>
「関雪」は画号
父親 橋本海関により名付けられる
藤原兼家が雪降る逢坂関を越える夢を見たことを聞いて、
大江匡衡が「関は関白の関の字、雪は白の字。必ず関白に至り給ふべし」と夢占いをしたといわれる
藤原兼家は翌年、関白の宣旨を賜ったという