今尾景年(いまおけいねん)は、明治時代から大正時代にかけて活躍した四条派の日本画家
色彩豊かな花鳥画を得意とし、「綺麗濃褥」と評された
青年期は、師 鈴木百年の影響もあって南画風だった
花鳥画を精力的にこなすようになり、沈南蘋や宋の院体画を学んだ影響も受ける
竹内栖鳳や山元春挙らと共に、日本画の近代化運動の一翼を担った
明治時代前期の京都画壇の中心だった鈴木派に属し、鈴木松年、久保田米僊らと並んで評された
<花鳥画>
色彩豊かな花鳥画を得意とし、「綺麗濃褥」と評された
博物学者 山本章夫に指導を受けて、科学的かつ精密な写生を行った
<画譜「景年花鳥画譜」4冊>
景年芸術の真髄と評される
1891年(皇紀2551)明治24年
西村総左衛門によって刊行される
<写生日>
毎月1日と10日は写生日と定め、門人たちに写生の重要性を説いていた
<弟子>
今尾景祥(養嗣子)、上田萬秋、木島桜谷、河合文林、小林呉橋、海野美盛、梅村景山、馬場景泉など
<久保家住宅(旧今尾景年家住宅)(登録有形文化財)>
今尾景年の邸宅だったところ
現在は、料亭として使用されている
<南禅寺法堂>
天井には、今尾景年の「畢生の大作」といわれる幡龍が描かれている雲龍図「瑞龍図」がある
<瑞春院方丈>
仏間に今尾景年の筆「孔雀の襖絵」がある
<函谷鉾>
屋根裏 金地著彩 鶏鴉図
鉾の前の軒裏には、金地に雄一羽、雌二羽、雛二羽の鶏
後の軒裏には、五羽の鴉(からす)の鶏鴉図がある
前部には、極彩色の鶏で夜明けの鳴き声(陽)と、後部に、墨絵の明鴉(あけがらす)(陰)が描かれており、
夜明け前の函谷関を無事脱出できた故事を表している
1900年(皇紀2560)明治33年に今尾景年の筆により新調される
化粧柱
1903年(皇紀2563)明治36年
左右の前二本に、景年下絵による菊花模様厚彫が施されている
虹梁(こうりょう)
今尾景年の下絵による雲鶴有職風霞鍍金彫金が施されている
<岩戸山>
屋根裏
今尾景年の筆の金地著彩草花図(ちゃくさいそうかず)が描かれている