今尾景年(いまおけいねん)(Keinen Imao)

明治時代から大正時代にかけて活躍した四条派の日本画家

生年:1845年(皇紀2505)弘化2年8月12日
没年:1924年(皇紀2584)大正13年10月5日
享年:80

父親:今尾猪助(京友禅の染屋)
三男

幼名:猪三郎、後に永観
字:子裕
画号:景年、三養、聊自楽、養素斎

出身:京都

 今尾景年(いまおけいねん)は、明治時代から大正時代にかけて活躍した四条派の日本画家

 色彩豊かな花鳥画を得意とし、「綺麗濃褥」と評された

【今尾景年の歴史・経緯】

【今尾景年】

 青年期は、師 鈴木百年の影響もあって南画風だった
 花鳥画を精力的にこなすようになり、沈南蘋や宋の院体画を学んだ影響も受ける

 竹内栖鳳や山元春挙らと共に、日本画の近代化運動の一翼を担った

 明治時代前期の京都画壇の中心だった鈴木派に属し、鈴木松年、久保田米僊らと並んで評された


 <花鳥画>
 色彩豊かな花鳥画を得意とし、「綺麗濃褥」と評された  博物学者 山本章夫に指導を受けて、科学的かつ精密な写生を行った

 <画譜「景年花鳥画譜」4冊>
 景年芸術の真髄と評される
 1891年(皇紀2551)明治24年
 西村総左衛門によって刊行される

 <写生日>
 毎月1日と10日は写生日と定め、門人たちに写生の重要性を説いていた

 <弟子>
 今尾景祥(養嗣子)、上田萬秋、木島桜谷、河合文林、小林呉橋、海野美盛、梅村景山、馬場景泉など

【今尾景年ゆかりの地】

 <久保家住宅(旧今尾景年家住宅)(登録有形文化財)>
 今尾景年の邸宅だったところ
 現在は、料亭として使用されている

 <南禅寺法堂
 天井には、今尾景年の「畢生の大作」といわれる幡龍が描かれている雲龍図「瑞龍図」がある

 <瑞春院方丈>
 仏間に今尾景年の筆「孔雀の襖絵」がある


 <函谷鉾
 屋根裏 金地著彩 鶏鴉図
 鉾の前の軒裏には、金地に雄一羽、雌二羽、雛二羽の
 後の軒裏には、五羽の鴉(からす)の鶏鴉図がある
 前部には、極彩色ので夜明けの鳴き声(陽)と、後部に、墨絵の明鴉(あけがらす)(陰)が描かれており、
夜明け前の函谷関を無事脱出できた故事を表している
 1900年(皇紀2560)明治33年に今尾景年の筆により新調される

 化粧柱
 1903年(皇紀2563)明治36年
 左右の前二本に、景年下絵による菊花模様厚彫が施されている

 虹梁(こうりょう)
 今尾景年の下絵による雲鶴有職風霞鍍金彫金が施されている


 <岩戸山
 屋根裏
 今尾景年の筆の金地著彩草花図(ちゃくさいそうかず)が描かれている


【京都検定 第11回2級】

【京都検定 第10回1級】

【京都検定 第15回1級】

[インデックス]


京都通メンバページ


[目次]


[関連項目]


[協賛リンク]



[凡例]

赤字
 京都検定の出題事項
 (過去問は下段に掲載)

ピンク
 京都検定に出題された
項目へのリンク

青色紫色
 関連項目へのリンク