石田幽汀(いしだゆうてい)は、江戸時代中期の鶴澤派(狩野派の一派)の絵師
写実性の強い装飾性がある画風が特徴
教育者としても優れており、円山応挙、田中訥言、原在中らの師
写実性の強い装飾性がある画風が特徴
狩野探幽の系譜を引く鶴沢探鯨(つるざわたんげい)に絵を学び、
鶴沢派の技法を基礎に、京狩野派や琳派のような豊かな装飾性と写生的な描写を加えた濃彩緻密な画風を確立した
次男 石田友汀(叔明)、四男 石田遊汀(守善)も絵師となった
教育者としても優れており、
円山応挙、田中訥言、原在中、江村春甫、金工家の一宮長常らの師
<紙本著色 四季花卉図 六曲一双>
三時知恩寺の所蔵
法橋時代の作
<紙本金地著色 須磨図(四季海浜図)六曲一双>
聖護院門跡の所蔵
法眼時代の作
<醍醐寺三宝院襖絵 蘇鉄に孔雀図 4面>
三宝院の所蔵
表書院の下段の間の襖絵
法眼時代の作
<醍醐寺三宝院襖絵 牡丹孔雀図 4面>
三宝院の所蔵
法眼時代の作
<紙本著色 御所車・松に白鷹図 衝立1基>
醍醐寺の所蔵
法眼時代の作
<醍醐寺三宝院襖絵 葵祭図>
三宝院の所蔵
葵の間の襖絵
伝石田幽汀の作
<郭巨山>
胴懸は、石田幽汀の下絵の、刺繍呉道子(ごどうし)と陳平図
左胴懸は、石田幽汀の下絵による呉道子描龍図
右胴懸も、石田幽汀の下絵による陳平飼虎図
<角屋>
石田幽汀や円山応挙などの襖絵が残っている