海北友雪(かいほうゆうせつ)(Yuusetsu Kaiho)

江戸時代初期の海北派の絵師

生年:1598年(皇紀2258)慶長3年
没年:1677年(皇紀2337)延宝5年9月3日
享年:80

父親:海北友松
長男

名:道暉
号:友雪
通称:忠左衛門

位:法橋

墓所:十念寺

 海北友雪(かいほうゆうせつ)は、江戸時代初期の海北派の絵師

 桃山時代を代表する絵師の一人 海北友松の子

 春日局によって徳川家光の推挙を受け海北家を再興した

 朝廷御用、将軍家御用を勤め、明暦・寛文・延宝の時代に造営された京都御所の障壁画を描いた

【海北友雪の経緯】

【海北友雪の代表作】

 幼い頃から、父親 海北友松の画技の指導を受けていたといわれ、細部描写などに影響が出ているといわれる

 海北友松よりも、後年の画風には、やまと絵や江戸狩野からの影響が強く受けている

 作風は軽妙・温雅だが、絵屋の経験による機知的趣向を凝らしたものもある

 朝廷御用、将軍家御用を勤め、明暦・寛文・延宝の時代に造営された京都御所の障壁画を描いた

 弟子には、海北友賢がいる


 <紙本著色 海北友松夫妻像 1幅(重要文化財)>
 1724年(皇紀2384)享保9年の海北友竹による後賛がある
 個人の所蔵

 <絹本著色 誓願寺縁起絵(重要文化財)>
 誓願寺
 1660年(皇紀2320)万治3年以降
 3幅対の1幅を補作している

 <紙本墨画 雲龍図 襖20面>
 妙心寺麟祥院客殿
 1633年(皇紀2293)寛永10年
 麟祥院は、春日局の菩提寺
 日本における龍の絵としては最大規模の作とされる

 <板絵著色 田村麿退治夷賊図 1面>
 清水寺
 1657年(皇紀2317)明暦3年
 最大級の絵馬とされる

 <板絵著色 頼政射怪獣 1面>
 清水寺

 <板絵著色 曳馬図 1面>
 清水寺
 1669年(皇紀2329)寛文9年

 <紙本金地着色 祇園祭礼図屏風 六曲片(京都市指定有形文化財)
 祇園祭 八幡山保存会
 添状により、明暦年間(1655年〜1658年)の作とされる
 「祇園会後祭山鉾巡行図屏風 」「祇園会還幸祭図屏風」とも称される
 祇園祭宵山の屏風祭で公開される

 <絹本著色 夢窓疎石像 1幅>
 銀閣寺  1668年(皇紀2328)寛文8年以前
 鳳林承章の賛がある

 <絹本著色 四季隠棲読書図 4幅>
 退蔵院
 1671年(皇紀2331)寛文11年

 <三十六歌仙扁額>
 平野神社  寛文年間(1661年〜1673年)  書は、近衛基煕による


【京都検定 第15回1級】

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