海北友雪(かいほうゆうせつ)は、江戸時代初期の海北派の絵師
桃山時代を代表する絵師の一人 海北友松の子
春日局によって徳川家光の推挙を受け海北家を再興した
朝廷御用、将軍家御用を勤め、明暦・寛文・延宝の時代に造営された京都御所の障壁画を描いた
幼い頃から、父親 海北友松の画技の指導を受けていたといわれ、細部描写などに影響が出ているといわれる
海北友松よりも、後年の画風には、やまと絵や江戸狩野からの影響が強く受けている
作風は軽妙・温雅だが、絵屋の経験による機知的趣向を凝らしたものもある
朝廷御用、将軍家御用を勤め、明暦・寛文・延宝の時代に造営された京都御所の障壁画を描いた
弟子には、海北友賢がいる
<紙本著色 海北友松夫妻像 1幅(重要文化財)>
1724年(皇紀2384)享保9年の海北友竹による後賛がある
個人の所蔵
<絹本著色 誓願寺縁起絵(重要文化財)>
誓願寺
1660年(皇紀2320)万治3年以降
3幅対の1幅を補作している
<紙本墨画 雲龍図 襖20面>
妙心寺麟祥院客殿
1633年(皇紀2293)寛永10年
麟祥院は、春日局の菩提寺
日本における龍の絵としては最大規模の作とされる
<板絵著色 田村麿退治夷賊図 1面>
清水寺
1657年(皇紀2317)明暦3年
最大級の絵馬とされる
<板絵著色 頼政射怪獣 1面>
清水寺
<板絵著色 曳馬図 1面>
清水寺
1669年(皇紀2329)寛文9年
<紙本金地着色 祇園祭礼図屏風 六曲片(京都市指定有形文化財)>
祇園祭 八幡山保存会
添状により、明暦年間(1655年〜1658年)の作とされる
「祇園会後祭山鉾巡行図屏風 」「祇園会還幸祭図屏風」とも称される
祇園祭宵山の屏風祭で公開される
<絹本著色 夢窓疎石像 1幅>
銀閣寺
1668年(皇紀2328)寛文8年以前
鳳林承章の賛がある
<絹本著色 四季隠棲読書図 4幅>
退蔵院
1671年(皇紀2331)寛文11年
<三十六歌仙扁額>
平野神社
寛文年間(1661年〜1673年)
書は、近衛基煕による