海北友松(かいほうゆうしょう)は、武士から画家に転進し、豊臣秀吉や宮中からも用命を受けた絵師
大画面の水墨画が多く、武士を志した画家の気概が感じられるものが多い
金碧濃彩の屏風絵などもある
宋元画の影響を受け、鋭く力のこもった描線と省略の多い画法(減筆法)によって独自の技法を開発した
晩年の軽妙なタッチの水墨の押絵は、宮中や禅僧の間で好評を得た
<建仁寺本坊大方丈障壁画全50面(重要文化財)>
建仁寺の大方丈の依鉢の間「琴棋書画図」10面、檀那の間「山水図」8面、室中「竹林七賢図」16面、
書院の間「花鳥図」10面、礼の間「雲龍図」8面
1599年(皇紀2259)慶長4年
安国寺恵瓊が、前身の安国寺方丈を本坊方丈として移築したとき、障壁画が新調される
1934年(皇紀2594)昭和9年
第一室戸台風で大方丈が倒壊し、現在の大型の掛け軸に改装される
京都国立博物館に寄託
<琴棋書画図(重要文化財)>
建仁寺霊洞院
京都国立博物館に寄託
<松竹梅図(重要文化財)>
建仁寺禅居庵の襖全12面
<紙本金地着色 花卉図 六曲一双(重要文化財)>
妙心寺
京都国立博物館に寄託
<紙本金地着色 三酸・寒山拾得図 六曲一双(重要文化財)>
妙心寺
<飲中八仙図 六曲一隻(重要文化財)>
京都国立博物館
<雲龍図 六曲一双(重要文化財)>
北野天満宮
<紙本墨画 放馬図屏風 六曲一双>
松尾寺
<お墓>
真如堂
海北友松夫妻のお墓の横に、斎藤利三のお墓がある