狩野正信(かのうまさのぶ)は、室町時代の絵師
室町幕府に御用絵師として仕え、狩野派の祖とされる
<画風>
職業絵師として多様な画題、画風をこなしていたといわれる
大和絵(やまとえ)と漢画の両方を手がけている
特に、中国風の漢画系の水墨画法によるものが多い
画本となる中国画から下絵を描いて、発注者に見せて、その意見を取り入れて完成させている
漢画様式を、武家社会の好みに適合させた
法華宗(日蓮宗)の信者だったが、禅宗とも関係深い水墨画法も取り入れている
<「周茂叔愛蓮図(しゅうもしゅくあいれんず)」>
中国の故事を題材にしている
画面上半分に余白を大きく取り、近景の柳の大木の緑が印象的で全てのモチーフが平明にわかりやすく描かれている
他の作品とはやや異質な感がある
<「文殊菩薩図」(群馬県立近代美術館)>
仏画の代表作
<「竹石白鶴図」六曲屏風1隻>
大徳寺塔頭真珠庵
<「瀟湘八景図」障子絵>
東山殿(銀閣寺)常御所
<十僧図>
東求堂(銀閣寺)
1485年(皇紀2145)文明17年
<「涅槃図」>
東求堂(銀閣寺)
1487年(皇紀2147)文明19年
<「崖下布袋図」>
文化庁蔵
景徐周麟の賛がある
<「日野富子像」>
1496年(皇紀2156)明応5年に死去した日野富子の肖像画
土佐光信の「嘉楽門院像」を参考にしたといわれる
<「足利義尚像」>
1489年(皇紀2149)延徳元年の足利義尚の肖像画
金宝山地蔵院(名古屋市)の所蔵