狩野永徳(かのうえいとく)は、桃山時代の狩野派の絵師
狩野派の棟梁として、織田信長、豊臣秀吉に仕え、聚楽第、安土城、大坂城などの障壁画を制作したが、
建物とともに滅びてしまったものが多い
スケールの大きな作品が現存して残るが、「細画」にも優れていたとされる
<聚光院方丈障壁画28面(附8面)(国宝)>
1566年(皇紀2226)永禄9年
聚光院は大徳寺の塔頭
狩野永徳が24歳のときの作品で、方丈の障壁画を父親 狩野松栄と共に描き、
狩野永徳は、「花鳥図」16面、「琴棋書画図」8面を描く
2006年(皇紀2666)平成18年
複製が制作され、原本は、京都国立博物館に委託される
<花鳥図16面(国宝)>
「室中」の間の障壁画
松・竹・梅におし鶏、丹頂鶴、セキレイなどが描かれた花鳥図
行体で自由奔放に描かれている
<琴棋書画図(きんきしょがず)8面(国宝)>
「檀那の間」(上の間)の障壁画
中国の士大夫(科挙出身の高級官僚)に必須とされた琴、棋(囲碁・将棋)、書、画に没頭する姿が描かれる
楷体で謹厳に描かれている
<南禅寺大方丈障壁画(南禅寺)(重要文化財)>
狩野派による共作
1586年(皇紀2246)天正14年〜1591年(皇紀2251)天正19年頃の作品
琴棋群仙図、二十四孝図の人物が、狩野永徳の筆であるといわれる
<洛外名所遊楽図屏風>
2005年(皇紀2665)平成17年7月、京都の古物商で発見された作品
落款などはないが上杉本洛中洛外図と描写法が良く似ており、狩野永徳の筆である可能性が高いとされる
<仙人高士図屏風(京都国立博物館)(重要文化財)>
伝狩野永徳筆
元は、建仁寺の塔頭の障壁画であったといわれる
<上杉本 洛中洛外図(米沢市 上杉博物館)(国宝)>
狩野永徳が22歳の頃の若描きで、細密描写に秀でていたことを示す作品
この屏風には、人物が約2,500人描かれている
<唐獅子図屏風(宮内庁三の丸尚蔵館)>
<許由巣父図(東京国立博物館)(重要文化財)> 伝狩野永徳筆
<檜図屏風(東京国立博物館)(国宝)> 伝狩野永徳筆