狩野永徳(かのうえいとく)(Kanou Eitoku)

生年:1543年(皇紀2203)天文12年1月13日
没年:1590年(皇紀2250)天正18年9月4日

京都生まれ

父親:狩野松栄
祖父:狩野元信
孫:狩野探幽

 狩野永徳(かのうえいとく)は、桃山時代狩野派の絵師

 狩野派の棟梁として、織田信長豊臣秀吉に仕え、聚楽第、安土城、大坂城などの障壁画を制作したが、
 建物とともに滅びてしまったものが多い

 スケールの大きな作品が現存して残るが、「細画」にも優れていたとされる

【代表作品】

 <聚光院方丈障壁画28面(附8面)(国宝)
 1566年(皇紀2226)永禄9年
 聚光院大徳寺塔頭
 狩野永徳が24歳のときの作品で、方丈の障壁画を父親 狩野松栄と共に描き、
 狩野永徳は、「花鳥図」16面、「琴棋書画図」8面を描く
 2006年(皇紀2666)平成18年
 複製が制作され、原本は、京都国立博物館に委託される

    <花鳥図16面(国宝)>
    「室中」の間の障壁画
    松・竹・梅におし鶏、丹頂鶴、セキレイなどが描かれた花鳥図
    行体で自由奔放に描かれている

    <琴棋書画図(きんきしょがず)8面(国宝)>
    「檀那の間」(上の間)の障壁画
    中国の士大夫(科挙出身の高級官僚)に必須とされた琴、棋(囲碁・将棋)、書、画に没頭する姿が描かれる
    楷体で謹厳に描かれている

 <南禅寺大方丈障壁画(南禅寺)(重要文化財)>
 狩野派による共作
 1586年(皇紀2246)天正14年〜1591年(皇紀2251)天正19年頃の作品
 琴棋群仙図、二十四孝図の人物が、狩野永徳の筆であるといわれる

 <洛外名所遊楽図屏風>
 2005年(皇紀2665)平成17年7月、京都の古物商で発見された作品
 落款などはないが上杉本洛中洛外図と描写法が良く似ており、狩野永徳の筆である可能性が高いとされる

 <仙人高士図屏風(京都国立博物館)(重要文化財)>
 伝狩野永徳筆
 元は、建仁寺の塔頭の障壁画であったといわれる

 <上杉本 洛中洛外図(米沢市 上杉博物館)(国宝)
 狩野永徳が22歳の頃の若描きで、細密描写に秀でていたことを示す作品
 この屏風には、人物が約2,500人描かれている

 <唐獅子図屏風(宮内庁三の丸尚蔵館)>

 <許由巣父図(東京国立博物館)(重要文化財)> 伝狩野永徳筆

 <檜図屏風(東京国立博物館)(国宝)> 伝狩野永徳筆


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