狩野光信(かのうみつのぶ)は、安土桃山時代の狩野派の絵師
家督を父親 第5代 狩野永徳から継ぎ、第6代となり、長男の狩野貞信に継がれる
狩野探幽は弟の狩野孝信の子供で甥にあたる
父親 狩野永徳の豪壮な大画様式とは対照的な、装飾化された繊細優美な表現で、理知的で穏やかな作風
当時の戦国武将たちの好みとは合わなかったといわれる
祖父 狩野松栄や曾祖父 狩野元信の画風や、中世の大和絵を取り入れ、自然な奥行きのある構成や
繊細な形姿の樹木・金雲などを描き、特に花鳥画に優れていたといわれる
父親 狩野永徳の時代には排斥的だった長谷川派との親和を図り、新たな画題である風俗画にも取り組む
狩野永徳様式から甥の狩野探幽を中心とする江戸狩野様式への橋渡しする役割を果たしたといわれる
<紙本金地著色 園城寺勧学院客殿一之間「四季花木図」 床壁貼付1面襖12面(重要文化財)>
1600年(皇紀2260)慶長5年
<法然院方丈襖絵十四面「桐に竹図」「若松図」「槇に海棠図」(重要文化財)>
法然院
<妙法院玄関、大書院障壁画58面(重要文化財)>
妙法院
<紙本墨画淡彩 豊臣秀吉像画稿(重要文化財)>
逸翁美術館
<絹本著色 豊臣秀吉像 南化玄興賛附(重要文化財)>
高台寺
<高台寺霊屋障壁画(重要文化財)>
高台寺
1605年(皇紀2265)慶長10年
<板絵著色 相国寺法堂天井画「蟠龍図」>
相国寺法堂の鏡天井の雲龍図で、特定の場所で手を打つと反響するため「鳴き龍」と称される
1605年(皇紀2265)慶長10年