狩野元信(かのうもとのぶ)は、狩野派の祖 狩野正信の嫡子で、狩野派の基礎を築いた室町幕府の御用絵師
漢画系(中国風)の水墨画法を基礎として、大和絵系の土佐派の様式を取り入れた「和漢融合」といわれ、
狩野派の基礎を築いた
権力者の需要に応えながら、町衆に絵付けした扇を積極的に販売していた
幕府や、朝廷・石山本願寺・有力町衆などから庇護を受けてきたといわれる
出家して「永仙」と号し、法眼(僧の位の一つ)を賜り、後に「古法眼」(こほうげん)と称された
<四季花鳥図8幅(重要文化財)>
大徳寺大仙院
方丈の室中には、相阿弥の「瀟湘八景図」が描かれており、それを取り囲むように制作された
京都国立博物館に寄託
<霊雲院障壁画(重要文化財)>
妙心寺霊雲院
京都国立博物館に寄託
<釈迦堂縁起絵巻(重要文化財)>
清凉寺
京都国立博物館に寄託
<瀟湘八景図(重要文化財)>
妙心寺東海庵
京都国立博物館に寄託
<元信の庭(国の名勝、国の史跡)>
妙心寺退蔵院
西側を主庭とする回遊式枯山水庭園
「都林泉名勝図会」には、狩野元信の作庭と記されている
自分の描いた絵を立体的に表現しなおしたもので、70歳近くの最後の作品が造園だったといわれる
約50坪の中に、枯滝・蓬莱山・亀島と石橋など、多くの石が無駄なく配置されており、
絵画的な曲線が主流となっている
作庭された当時は、背景の雙ヶ岡を借景とした奥行きのあるダイナミックな庭だったといわれる
背後には、やぶ椿・松・もっこく・かなめもちなどの常緑樹が植えられ、
一年中変わらない「不変の美」が求められているといわれる
狩野元信は、漢画系(中国風)の水墨画法を基礎として、大和絵系の土佐派の様式を取り入れ、
書院造建築の装飾にふさわしい日本的な障壁画様式を確立した
職業絵師としても、顧客からの注文の増加と多様化に対応するため、さまざまなジャンルの作品を残している
狩野元信は、一門を組織化して分業システムを確立し、幅広い需要にこたえることに成功した
宋や元・明の中国絵画の様式を幅広く取り入れ、従来の室町水墨画の様式を整理統合して、
大和絵の技法も早くから取り入れ、後世の規範となる様式を築いた
<狩野元信邸跡>
京都市上京区元誓願寺通小川東入
狩野元信が、ここで生まれ84歳で没した
屋敷は、狩野松栄・狩野永徳と継がれる
現在は、屋敷跡に石碑が立てられている