狩野探幽(かのうたんゆう)(Kanou Tanyuu)
狩野派を代表する絵師
生年:1602年(皇紀2262)慶長7年1月14日
没年:1674年(皇紀2334)延宝2年10月7日
狩野永徳の孫
出身:京都生まれ
本名:守信
狩野探幽(かのうたんゆう)は、江戸時代の狩野派を代表する絵師
徳川幕府の御用絵師となり、二条城・江戸城・名古屋城・大徳寺・妙心寺などの障壁画に作を残す
江戸狩野派の基礎を築く
山水図、人物図、花鳥図など幅広い作品を持つ
【狩野探幽の歴史・経緯】
【狩野探幽の主な作品】
<探幽縮図>
自らが観た名画を縮図として模写したもの
膨大な量が残っており、歴史資料、絵画資料として貴重なもの
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二条城二の丸御殿(国宝)の障壁画(重要文化財)>
各部屋には、狩野探幽・
狩野尚信・
狩野興以による障壁画や襖絵が部屋の目的によって描かれている
式台の間の襖絵は、狩野探幽が25歳のときの作
老中の間の三の間には、柳と鷺の絵が描かれており、狩野探幽と高弟の作
大広間の四の間の襖絵には、枝張り11mもある老松に鷹が豪壮に描かれている
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桂離宮>
中書院と新御殿の水墨主体の障壁画
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詩仙堂>
詩仙の間
石川丈山が選んだ中国の漢晋唐宋の各時代の詩人36人肖像を、
狩野尚信と描き、詩仙の間の四方の壁に掲げられている
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大覚寺>
正寝殿(重要文化財)の障壁画
狩野山楽、狩野探幽らの作である
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大徳寺>
方丈(
国宝)の障壁画83面(重要文化財)
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南禅寺>
小方丈(
国宝)の障壁画「水呑の虎」
三門(重要文化財)の天井画の天人と、鳳凰の図
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西本願寺>
黒書院の障壁画「瀑布山水図(ばくふさんすいず)」
簡素にまとめられた、55歳のときの作
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妙心寺>
法堂(重要文化財)の内部の鏡天井の「雲龍図(八方にらみの龍)」
大方丈(重要文化財)の南側3室の障壁画(需要文化財)
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龍源院>
達磨図
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永観堂>
小方丈の欄間に描かれた雀の絵
永観堂の七不思議の一つ「抜け雀」
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金地院>
方丈の襖絵
【その他】
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蓮華寺>
再興に協力し、鶴亀の庭園を、石川丈山と協力して作庭したといわれる
【京都検定 第5回3級】
【京都検定 第6回3級】
【京都検定 第12回3級】
【京都検定 第15回3級】
【京都検定 第16回3級】
【京都検定 第20回3級】
【京都検定 第3回2級】
【京都検定 第4回2級】
【京都検定 第11回2級】
【京都検定 第2回1級】