吉山明兆(きつさん みんちょう)は、室町時代前期の臨済宗の画僧
東福寺永明門派 大道一以の門下で画法を学び、東福寺第28世 大道一以(だいどういちい)に付き従い東福寺に入る
禅僧として高位の位を勧められるが拒絶して、初の寺院専属の画僧として大成した
第4代将軍 足利義持からもその画法を好まれた
<画僧>
東福寺永明門派大道一以の門下で画法を学び、東福寺第28世 大道一以(だいどういちい)に付き従い東福寺に入る
禅僧として高位の位を勧められるが拒絶して、初の寺院専属の画家として大成した
東福寺系以外の寺院からも注文がくるようになり、禅宗系仏画の中心的存在となった
工房は、明兆の没後も弟子達によって受け継がれ、明兆画風も他派の寺院にも広まる
僧としての位は、仏殿の管理を務める殿主(でんす)にとどまり「兆殿主」と称された
<作風>
北宋の李竜眠や、元の仏画の画風を学んで、輪郭線など強い墨線と濃い色彩が特色
後の日本絵画史に大きな影響を与えた
第4代将軍 足利義持からもその画法を好まれた
<弟子>
霊彩、赤脚子など
東福寺寺内に工房を構えて活動していた
<紙本墨画 渓陰小築図(けいいんしょうちくず)(国宝)>
明兆の筆と伝わる作品
詩画軸、大きさ101.5×34.5cm
太白真玄が序を書き、大岳周崇ら6人の五山僧が題詩を書いている
南禅寺の僧 子璞(しはく)のために、子璞の心の中の書斎「渓隠」を描いたといわれる
詩画軸(掛軸の下方に絵を描き、上方にその絵と関わる漢詩文を書いたもの)の現存する最古の作品
1413年(皇紀2073)応永20年
金地院の所蔵(東京国立博物館に寄託されている)
<絹本著色 五百羅漢図 50幅(重要文化財)>
明兆の筆と伝わる作品
1383年(皇紀2043)弘和3年/永徳3年から、1386年(皇紀2046)元中3年/至徳3年に完成
1幅に羅漢10人ずつ描かれ、50幅で500人が描かれている大作
明兆の母親が病気で倒れたとき、この大作に没頭しており帰郷せず、代わりに自画像を描いて母親に送ったといわれる
墨の描線や濃彩が鮮やかな逸品
現在、45幅は東福寺(内20幅は京都国立博物館に寄託)、2幅は根津美術館が所蔵
東福寺には住吉広行による模本も残っている
<絹本著色 春屋妙葩像(重要文化財)>
1404年(皇紀2064)応永11年の作
光源院の所蔵
<大涅槃図(重要文化財)>
東福寺の縦12mx横6mの日本最大の涅槃図
8本の沙羅双樹に囲まれて、頭を北に向けて右脇を下にして横たわっている釈迦と、その周りに悲しそうにしている
弟子・菩薩・50種類以上の動物が描かれている
猫が描かれている珍しいもの
明兆が、涅槃図を描いているとき赤い絵の具が見つからず、そのとき猫が見つけてくれたため、そのお礼に描かれたものといわれる
1408年(皇紀2068)応永15年の作
東福寺の所蔵
<紙本墨画淡彩 白衣観音図(重要文化財)>
明兆が74歳(1426年(皇紀2086)応永33年)の作品
懸崖の下で、水流の中に突出した岩上に座し、岩に肘をついて流れを見る白衣観音菩薩を描く
着衣は胡粉で白く塗り、頭髪には群青を施し、水波は淡墨で淡く地を塗り、墨線を重ねてうねりを表わし、波頭は白く塗り残している
MOA美術館の所蔵
<絹本著色 釈迦三尊・三十祖像 7幅(重要文化財)>
釈迦三尊は、霊山会上での拈華微笑(ねんげみしょう)の因縁を描いたもの
三十祖像は、「行年七十五明兆」の款記があり、1426年(皇紀2086)応永33年、明兆が75歳のもの
各祖師の頭上には、春屋妙葩の嗣子 厳中周による各祖師の略伝賛文がある
30人の祖師は、禅宗の始祖 達磨から、夢窓疎石、春屋妙葩へと連なる法系図絵
1426年(皇紀2086)応永33年の作
鹿王院の所蔵
<紙本著色 四十祖像 40幅(重要文化財)>
1427年(皇紀2087)応永34年の作
東福寺の所蔵
<絹本著色 円鑑禅師像(蔵山順空像)(重要文化財)>
東福寺塔頭 永明院の所蔵(京都国立博物館寄託)
<絹本著色 在先和尚像(重要文化財)>
自賛アリ
東福寺塔頭 霊源院の所蔵
<絹本墨画 白衣観音図(重要文化財)>
若い時期の作品といわれる
天性寺の所蔵(京都国立博物館寄託)
<紙本著色 白衣観音図(重要文化財)>
しぶきを上げる波の中の岩の上で、両手を禅定印に結んで結跏趺坐する白衣観音菩薩を描く
左には善財童子が岩上で観音菩薩に向かって合掌し、右には海中から現れた龍が描かれる
東福寺の所蔵
<紙本墨画 聖一国師像(重要文化財)>
円爾弁円(聖一国師)を描く
東福寺の所蔵
<紙本淡彩 達磨蝦蟇鉄拐像 3幅(重要文化財)>
3幅のうち蝦蟇・鉄拐図は顔輝の絵図を模写したもの
東福寺の所蔵(京都国立博物館寄託)
<紙本墨画 聖一国師像岩上像(重要文化財)>
明兆の作品と伝わる
円爾弁円(聖一国師)を描く
東福寺の所蔵
<紙本墨画淡彩 琴棋図 六曲屏風一隻(重要文化財)>
明兆の作品と伝わる
遠山や人物の描写様式には室町初期詩画軸に共通して資料的にも非常に珍しもの
龍光院の所蔵
<絹本著色 円爾弁円像(聖一国師像)(重要文化財)>
開山 聖一国師 円爾弁円を描く
円爾弁円の死後、約百年後の図
鮮やかな色彩、迫力と写実性があるといわれている
267.4x139.7cm、現存する頂相画の中では最大級の作品
東福寺の所蔵
<紙本墨画淡彩 聖一国師岩上像(重要文化財)>
明兆の筆と伝わる作品
円爾弁円(聖一国師)が岩の上でくつろいだ姿を描いた珍しい図
元々は下書きか草稿のようなものだったといわれる
東福寺の所蔵(京都国立博物館寄託)
<紙本墨画 大道一以像(重要文化財)>
明兆の筆と伝わる作品
1394年(皇紀2054)応永元年の賛
性海雲見賛
奈良国立博物館への寄託
<在山素セン像>
仲方円伊賛がある
東福寺の所蔵(京都国立博物館寄託)
<号「破草鞋(はそうあい)」>
幼い時に、淡路島の安国寺の開山 大道一以(後の東福寺第28世)のもとで禅の修行をしていたが
絵を描くことに熱中したため、師より破門させられたといわれる
師に捨てられたことで、破れた草鞋(ぞうり)にたとえて「破草鞋(はそうあい)」と号したといわれる