四条派(しじょうは)は、江戸時代中期からの呉春を祖とする画派
呉春が、与謝蕪村から学んだ文人画(南画)を基礎とし、親交のあった円山応挙の写生画風を取り入れた独自の形で発展させ、
京都画壇で一大勢力となる
呉春や、弟子の岡本豊彦、松村景文などが、四条通周辺に住んでいたことから、「四条派」と称されるようになった
<呉春>
流祖
<岡本豊彦>
呉春の弟子で、「花鳥は景文、山水は豊彦」と称される
呉春の跡(四条派)を継ぐ
<松村景文>
呉春の実弟であり、呉春の弟子で、「花鳥は景文、山水は豊彦」と称される
岡本豊彦の弟子
<塩川文麟> 岡本豊彦の跡(四条派)を継ぐ
<岡本亮彦>
<柴田是真>
<田中日華>
松村景文の弟子
<西山芳園>
<長谷川玉峰>
<横山清暉>
<幸野楳嶺>
塩川文麟の跡(四条派)を継ぐ
楳嶺四天王
<竹内栖鳳> 幸野楳嶺の跡(四条派)を継ぐ
<菊池芳文>
<都路華香>
<谷口こうきょう>
その後、個別に活躍
上村松園、西山翠嶂、西村五雲、土田麦僊、小野竹喬、池田遙邨、橋本関雪、今尾景年など
戦後の活躍者
堂本印象、上村松篁、中村大三郎、宇田荻邨など
<円山四条派(まるやましじょうは)>
江戸時代中期、円山応挙を祖とする写実的な絵画の流派の円山派と、その流れをくむ呉春の開いた四条派を
併称したもの
<四条派の名前の由来>
呉春の自宅が東洞院通錦小路通上ルにあり、呉春の弟子である岡本豊彦や実弟の松村景文などが、四条通周辺に住んでいたことから、
「四条派」と称されるようになった